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脳は高齢でも

 投稿者:●之助  投稿日:2017年 8月24日(木)19時21分36秒
返信・引用
 

江戸時代の知られざるスゴイ知恵「長寿十訓」から学ぶ日本人のための健康法

脳は高齢でも反復練習すると再生する

数日間でこれほどの…」日本旅行中に感じた娘の小さな変化

 
 

ロータリークラブ・生命科学振興会・プロバスクラブ。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 77歳  投稿日:2017年 8月22日(火)05時11分15秒
返信・引用 編集済
   ロータリーや生命科学振興会の精神を地域社会へ、地域社会の知恵をロータリーを通して世界へ、未来へ。
 生命科学振興会やプロバスクラブにご入会いただき、「地球調和づくり活動」にお力添えくださいますようお願いいたします。

  「地球調和づくり活動。」をキーワードに検索すると、「もりづくり甲突川。」、「校区づくりから、むらまちづくり・地球調和づくり。」などがヒットする。
 

三間(時間・空間・仲間)。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 77歳  投稿日:2017年 8月21日(月)00時25分0秒
返信・引用
  > No.3005[元記事へ]

fuusan(63)さんへのお返事です。

> 〇地域社会の希薄化
>
> 〇子どもをとりまく環境の縮小化
>
> (少 子 化)
>  都市化により地域社会の血縁的、地縁的、絆が薄れていくとともに進んできた。
> 都市部において地域社会が「希薄化」し、これに加えて、核家族化という家庭の
> 小規模化が進む中で、少子化は同時進行してきた。
>  子どもが自由に主体的に遊ぶことのできる時間、空間、仲間のいわゆる3間(サンマ)
> の縮小化が、同時進行している。

 三間と言う言葉を初めて知りました。ありがとうございました。

 人生とは三間(時間・空間・仲間)である。
 人間は三間の中に生かされている。
 

くりっく

 投稿者:fuusan(63)  投稿日:2017年 8月20日(日)23時24分10秒
返信・引用
   今時の時代は、簡単に、クリックなどして、、、PC個体番号を抜き取られたり、
逆探知ソフトで、個人の住まいや、実名など簡単に抜き取ることができる。

 また、ウィルスをいただいたり、パソコンが病気になって、
ウン万円の修理代も自己責任である。

データを消去されたり、抜き取られたりなどなどしたら、、、どうしようもない。

 自己責任、覚悟で、、、ノゾクホドノ魅力も感じない。。。


 論より、実行。 社会に貢献することのみに魅力、生きがいを感じる。

 他人様それぞれの価値観がある。 強制もできない。。。


 

やくにん

 投稿者:fuusan(63)  投稿日:2017年 8月20日(日)23時00分41秒
返信・引用
   役人として、知らず知らずのうちに身に着けたことは、ある施策の問題点を実施前に迅
速、的確に並べ挙げる反射神経だったのかもしれない。

 「できない理由を即座に百、並べることのできる才能」これが有能な役人の条件、など
と自嘲(じちょう)していた。

 役人の「やらない理屈」として最も頻繁に引用されるのが「公平性」と「前例がない」
であろう。

 せめて生きている間を豊かに過ごすことができるように、助力するのも行政
の役割であろう。

 そのための「ひいき」は、どういった公平性を損なうことになるのだろうか。

 福祉というと高齢社会への対応だけに目がいきがちである。
元気な老人のことも考えなくてはならない。

つまりは、満遍なくということだろう。 これをもって公平という人
もあるかもしれない。
 

ろんご

 投稿者:fuusan(63)  投稿日:2017年 8月20日(日)22時56分30秒
返信・引用
  「論語」 ⇔ 中国の春秋戦国時代末期に生まれる。 人間はどのように生きたら正しく
       生きぬくことができるか。

   指導層 ・ 武士は ・ 文武両道 ・ 文 ・ 四書五経 ・ 特に論語

 今の日本の混乱や不安定な社会を思うと、この指導層の問題は深刻である。
たとえば
 政治家は、国民から はなれて 党利党略で混乱する。

 財界も国民の生活と密着しないで利益追求の道をひたすら歩む。

 教育界では、知識偏重で人間にとっての生き方をしっかり教えない。

その結果、バラバらな国民が、バラバらな方向にむかって生きているように思える。
 

道、敬天愛人

 投稿者:fuusan(63)  投稿日:2017年 8月20日(日)22時54分17秒
返信・引用
   中国、唐の韓 愈(かん ゆ)また韓 退之の「伯 夷の頌」はく い の しょう
 の一文

 〇 道を信ずること篤くして、自ずから知ること明らかなる者なり。

 「道」の意味

 道は天地自然の道(理・義)ゆえ、講学(習学)の道は敬天愛人を目的とし、身を修す
るに克己を以て終始せよ。

 己に克つの極功(最も効果のある方法)は、「母レ 意(い なし)、母レ 必(ひつ な
し)、母レ 固(こ なし)、母レ 我(が なし)」

 論語 ・・・ 当て推量をしない。 無理を押さない。 固執しない。 我を通さない
ことである。
 

少 子 化

 投稿者:fuusan(63)  投稿日:2017年 8月20日(日)22時49分17秒
返信・引用
  〇地域社会の希薄化

〇子どもをとりまく環境の縮小化

(少 子 化)
 都市化により地域社会の血縁的、地縁的、絆が薄れていくとともに進んできた。
都市部において地域社会が「希薄化」し、これに加えて、核家族化という家庭の
小規模化が進む中で、少子化は同時進行してきた。
 子どもが自由に主体的に遊ぶことのできる時間、空間、仲間のいわゆる3間(サンマ)
の縮小化が、同時進行している。
 

こうよう

 投稿者:fuusan(63)  投稿日:2017年 8月20日(日)22時44分23秒
返信・引用
     孝養  孔子

 「今の者は、これよく養うことをいう。 犬馬に至るまで、みなよく養うあり。 敬せ
ずんば、何をもって別たんや。」 ただ単に親を養うだけが、孝養ではない。 敬愛の念
が、必要である。
 

戦後70年~東京裁判とGHQ(引用掲載)

 投稿者:fuusan(63)  投稿日:2017年 8月20日(日)19時10分8秒
返信・引用
      【戦後70年~東京裁判とGHQ】
老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…
「老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。神が示すところに従い自己の任務を果たさんと試みた一人の老兵として。さようなら」
 1951年4月19日。米上下院合同会議で、連合国軍最高司令官(SCAP)として日本を占領統治した陸軍元帥のダグラス・マッカーサーは半時間の退任演説をこう締めくくった。
 後に第37代大統領となる共和党上院議員のリチャード・ニクソンは演説を聴き、その感激は自著「指導者とは」にこう記した。
 「マッカーサーは古代神話の英雄のようだった。彼の言葉は力強く議場全体が魔術にしびれ、演説は何度も拍手で中断された。ある上院議員は『共和党員は感激でまぶたを濡らし、民主党員は恐怖でパンツを濡らした』と語った…」
 8日前の11日、マッカーサーは第33代米大統領、ハリー・トルーマンに全ての役職を解任され、帰国した。人生の黄昏を感じさせる演説だが、心中は闘争心でみなぎっていた。
マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでに叩き潰す腹づもりだったのだ。演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。
 米国内のマッカーサー人気は絶大だった。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。
   × × ×
 米上院軍事・外交合同委員会はマッカーサーを聴聞会に召喚した。テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。背景にはトルーマン政権に打撃を与えようという共和党の策謀があった。
マッカーサーは快諾した。大統領選の指名争いに有利だと考えたからだ。狙い通り、世界中のメディアが聴聞会の動向に注目し、事前から大々的に報じた。
 5月3日の聴聞会初日。証言台に立ったマッカーサーは質問に誠実に応じ、1950年6月に勃発した朝鮮戦争の経緯をよどみなく説明し続けた。
 質問者の共和党上院議員、バーク・ヒッケンルーパーは「赤化中国を海と空から封鎖するという元帥の提案は米国が太平洋で日本を相手に勝利を収めた際の戦略と同じではないか」と質した。
 マッカーサーの戦略の正当性を補強するのが狙いだったが、マッカーサーの回答は予想外だった。
 「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」
「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」
 「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」
 会場がどよめいた。証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになる。これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまう。
もっと言えば、5年8カ月にわたり日本を占領統治し「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねない。
 この発言は共和党の期待を裏切り、激しい怒りを買った。マッカーサー人気はこの後急速にしぼみ、大統領の夢は潰えた。
   × × ×
 なぜマッカーサーはこのような証言をしたのか。
 日本の「自衛戦争」を認めた理由についてマッカーサーは回顧録でも触れていない。だが、マッカーサーが朝鮮戦争でどのような戦略を描いたかを紐解くと答えが見えてくる。
 マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて北朝鮮の背後にいるソ連、中国(中華人民共和国)という共産主義国の脅威を痛感した。
 朝鮮と台湾が共産主義国の手に落ちれば、日本も危うく、極東での米国の陣地は失われ、防衛線は米西海岸まで後退しかねない。それを防ぐには朝鮮半島を死守するしかない。この見解は国務省や国防総省にも根強くあった。
ところが、トルーマンは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が「中ソが徹底的に対立すれば、欧州はソ連の報復攻撃を受けかねない」と動揺したこともあり、北緯38度線付近で「痛み分け」にする策を練っていた。
 これに対して、マッカーサーは中国を海と空で封じ込め、毛沢東率いる共産党政権を倒さねば、将来の米国の安全を脅かすと主張して譲らなかった。これがトルーマンがマッカーサーを解任した理由だった。
   × × ×
 マッカーサーの主張は、その後の歴史をたどっても説得力がある。ただ、朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙するという戦略は、日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた戦略と変わりない。
 「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」
マッカーサーはこうも語った。これは「米国は戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」と言っているのに等しい。
 マッカーサーは日本の占領統治と朝鮮戦争を通じて日本の地政学的な重要性に気づいたに違いない。「自衛戦争」発言は、自らの戦略の優位性を雄弁に語るうちにポロリと本音が出たとみるべきだろう。
   × × ×
 他にもマッカーサーは重要な証言を残した。
 民主党上院議員、ラッセル・ロングが「連合国軍総司令部(GHQ)は史上類を見ないほど成功したと指摘されている」と称えたところ、マッカーサーは真っ向から否定した。
 「そうした評価を私は受け入れない。勝利した国家が敗戦国を占領するという考え方がよい結果を生み出すことはない。いくつか例外があるだけだ」
「交戦終了後は、懲罰的意味合いや、占領国の特定の人物に対する恨みを持ち込むべきではない」
 それならば日本の占領統治や東京裁判は一体何だったのかとなるが、これ以上の追及はなかった。
 別の上院議員から広島、長崎の原爆被害を問われると「熟知している。数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも残酷極まるものだった」と答えた。原爆投下を指示したトルーマンを批判したかったようだが、原爆を「虐殺」と表現した意義は大きい。
 このように3日間続いた聴聞会でのマッカーサー証言は日本人を喜ばせたが、ある発言で一転して激しい怒りと失望を招いた。
 「科学、芸術、神学、文化においてアングロサクソンが45歳だとすれば、ドイツ人も同程度に成熟していた。日本人はまだわれわれの45歳に対して12歳の少年のようである」
ただ、この発言の前後で「学びの段階に新しい思考様式を取り入れるのも柔軟だ。日本人は新しい思考に対して非常に弾力性に富み、受容力がある」とも述べている。「日本人の柔軟性」をよい意味で少年に例えたといえなくもない。
 日本人は大戦で勇猛に戦い、米軍を震撼させながら、敗戦後は驚くほど従順でマッカーサーの治世を称賛した。マッカーサーにはその姿が「12歳の少年」に映ったのではないか。
   × × ×
 1952年7月の共和党大会で、かつての部下で欧州戦線の最高司令官を務めたドワイト・アイゼンハワーが指名され、1953年に第34代大統領に就任した。
 マッカーサーは引退し、ニューヨークのホテル・ウォルドーフ・アストリアのスイートルームで愛妻ジーンと余生を過ごした。軍人時代と同じく常に居間を歩き回り、昼寝を欠かさない規則正しい生活を送った。
マッカーサーを尊敬するニクソンは、GHQ民政局長だったコートニー・ホイットニーを通じてホテルの自室に招かれ、その後何度も教えを請うた。ただ、欠点も見抜いていた。
 「マッカーサーの最大の過誤は政治的野心を公然と示し、軍事的声望を政治的資産に転じようとしたことだった…」
 1964年4月5日午後2時39分、マッカーサーはワシントン近郊のウォルター・リード陸軍病院で84年の生涯を閉じた。ポトマック川岸は桜が満開だった。
 元首相、吉田茂は産経新聞に「天皇制守った恩人」と題した追悼文を寄せた。昭和天皇も米大統領宛に弔電を打った。葬儀は8日に米議会議事堂で営まれ、吉田も参列した。
毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人生だった。マッカーサーの評価は日本でもなお定まらない。ただ、上院聴聞会での証言は軍人マッカーサーの偽らざる思いであり、一種の懺悔(ざんげ)だったのかもしれない。その遺体はバージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館にジーンとともに葬られている。
(敬称略)
=おわり
     ◇
 この連載は石橋文登、花房壮、峯匡孝、加納宏幸、森本充、今仲信博、田中一世が担当しました。

 

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