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わたしの宗教

 投稿者:知分68歳  投稿日:2014年 9月13日(土)18時49分8秒
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  9月5日は明治9年のこの日、県参事から信教の自由令が布達されて浄土真宗が認められたということで、西本願寺鹿児島別院で「さつま開教記念法要・講演」があり参加してきました。その翌々日は田舎のお寺で父の三回忌法要でしたが、このご住職は5日の講師でもありました。

朝夕は仏壇へのおつとめは欠かしませんし、子や孫たちが来ても必ずさせます。正信念仏偈だけは拝読することができますが、そう熱心な仏徒というわけでもありません。三回忌法要では、極楽浄土に往生して、すでに往生している人々と会うという「?会一処」について法話がありました。しかしお釈迦様は、死後の世界とか、霊魂のあるなしとか、確かめようもない観念的な議論には、徹底して応じようとしなかったと聞きます。

わたしにとっての朝夕のおつとめは、きょう一日を心安らかに生きられるよう心を固め、きょう一日が心安らかであったことを感謝する、きわめて自分本位なものです。子どもたちが、孫たちがきょうを明日をよく生きられることを念ずることでもあります。

生老病死の四苦と怨憎会苦・愛別離苦などを加えた八苦への備えでもあります。世の中には、言葉や知性でたどりつける世界とそれを越えた世界があるのではないかと思います。仏や神の存在は決して証明できません。しかし、信仰とは証明できないものに身を委ねるものではないでしょうか。

珍しくお寺通いが続いた週に、このようなことを考えることでした。
 
 
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