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Re: 人生の健康は生死哲学の健康から。

 投稿者:工作員28号  投稿日:2018年 4月11日(水)23時10分17秒
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  > No.3299[元記事へ]

瀬戸山豊74歳さんへ

「てつがく」とは、願望では無い。 「願望」とは違うかも知れません。

 西洋哲学と、東洋哲学の違いは何かと問われ、意味も理解出来ないうちに
ただ適当に、西洋哲学は真理への道と答え、東洋哲学は禅への道などと答えたところで、
教授も困られたのでしょう。何とか、単位が認められた苦い思い出が今も消えません。

 「永遠なる真理」、真理とは学問なのか、またまた宗教のヒトツなのか。
 中心となる柱は「家族が大事」という。これは清流哲学も同じ方向かも知れません。

 理想や空想が、眼にも見えず、実体の無いものと思えば、ただの「霧」となり消え入るのみ。
それにオノがフィルターを通して見ると、個体が見えるやも知れず。

 ひたすらに行なう、イメージ・トレーニングが次第に実体を作ることもあり、
ただの「空想」だよ、実体の無い「霧」だよと定義づけ、結論付ければ、それまでのこと。
イメージは、有益な「波動」も形成するし、無益な「覇道」、鬼道も形成する。

 己の思いが、自分の身体も、家族の身体も、はたまた友人の身体も破壊するやも知れず、
日々、黄色い毒気を吐いて、覇道へと、つながるような考えはイダカズに、
ただ真心を維持して真摯に研鑽していかないと、成らないと思います。

 真理は実体を現わさず、霧の如くに消えて「無」になる。

 いままでの人生の積み重ねが、「無」になる。何も残らない最期は寂しいと思います。

> 工作員28号
>
> どうも私が昔から疑問に感じてるのは哲学なる言葉を絶対的真理のごとく述べる事に対する疑問です。
> 「哲学と願望」をごっちゃにしてるのでは、哲学とは死生感のような
> 時代や人生においてそれぞれ違うものではなかろうと思います。

> デカルトの「われ思う故に我あり」これが哲学であり、個々の人間の願望ではなかろう。

> 私なども永遠なる真理を求めて生きてますが家族が大事だと言うのが真理なのか?良く分かりません。
> なんとなしか空想でない投稿が増えてきたのは喜ばしいです。
>
>
> > 三方限古典塾の塾生 納利一 78歳さんへのお返事です。
> >
> > てつがく、哲学、「生死なんぞ疑わむ」
> > せいしん精神も、肉体も、健全で、健康で、
> > 「生死哲学」づくりをすすめてほしい。
> >
  万人共通の健康な生死哲学はまだないのかもしれない。
三方限(甲南校区)古典塾の塾生たちも、塾長の別府義昭先生の御指導の下、古今東西の古典などに学びつつ生死哲学の健康づくりを続けている。

 世界中のみんなが、自分の生死哲学の未熟さが自分の人生を不健康にし、身近な人々の人生をも不健康にしていることに気づけば、より健康な生死哲学づくりへの道がひらけていくのではなかろうか。
 
 
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