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日本の古代史にあっては、灯台とか鏡台とかいう、頭が良いとされる台学を出た方々などが、
邪馬台国の問題の位置一つにしても、畿内にあったとか、北九州にあったとか、
それぞれの台学がお墨付きを与えた場所が正しいなどと、論争までしまくり、
やがては、素人の古代史研究家までもが加わり、どこでも邪馬台国といわれるほどに、
テキトーな本が巷に溢れ、デタラメ放題というか、ハチャメチャ砲台というか、
今ではもう収拾がつかくなっています。
ですから、そんな古代史にあっては、調和というものを見つけにくいでしょう。
しかし、歌舞伎などでもみられる忠臣蔵などでは、
御政道を正そうとする調和的な心が表れたものとして見ることができるでしょう。
また、我々日本人の生活様式に於いては、
例えば家に上がるときには、靴を脱ぐ、靴下を脱ぐ、足を洗う、など、
神社に行ったら、手を洗い、口を濯ぐ、など、
多くの方が合理的な上にも奇麗好きであり、
その合理的な上にも奇麗好きというのが、調和的な心が表れたものでしょう。
分かりにくいかもしれませんが・・・
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