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パンデミックの終息が見えない。
人類史をみればパンデミックは有史以後でも幾度となく襲来しているが、
その都度、終息後は弱肉強食の独裁専制体制による覇権争い。
約6万年前にアフリカからユウラシア大陸にホモサピエンスが拡がった時から、食料獲得争いは人類史の常態。
しかも肥大化した欲望を満たそうと食料以上の権力・富の争奪が時代とともに激化。
「分明」なるなるものが出現して以来、人類史には最も古くはメソポタミアで、その後もその都度中心的地域があった。中心は単独の場合もあれば主と従の別はあっても複数の場合も多かった。
アジアに限れば、中国はほぼ常に主従の違いはあれ中心の1つであった。
日本はというと、常に中心から遠い辺地であり、ヒナではなくイナカであり、今でもそうである。
中心どころか中心辺縁の地ですらなかった。歴史上、多くの為政者達もそれを心得ていたようだが、間違ったのは
晩年の秀吉と日露戦争後の日本陸軍。それと戦後、特に前回の東京五輪後か。
日本は神国でもなく特別でも特殊でもない。文明中心から遠く離れた田舎であったし今もそうである。
恰も薩摩がヤマトの中心からみれば辺陬の地で「まつろわぬ民」であり理解しにくい地であったこととアナロジーできそう。
文明中心から離れているからこそ、文明につきものの争いを是とする各種思想の影響も小さくて済む。争うよりは調和する、突出を嫌う、という心性は、一方では同調圧力として働くが権力者に利用されない限り同調圧力が負の要因になることはない。
戦後、20世紀後半に経済大国となり、先進国の一員であるという自負も誤った幻想で夜郎自大的な思い上がり。
人類史は食料獲得争いの歴史であり、科学技術がどれほど進歩しようと、欲望充実を目指すことを「善」として肯定する限り人類の未来は滅亡しかないであろう。覇権主義国家等がどんな策を弄しようと
「争い」を肯定している以上人類滅亡への道は避けられない。
争わずとも肥大化した欲望を管理抑制すれば、生きていくための食料は日本列島では自然が恵んでくれる。
そのような自然は日本以外には殆どないのが問題。というより文明の起こった中心となった地は、メソポタミア・地中海・黄河流域・中央アジアいずれも食料争奪の激しい地方であり、狩猟と略奪を常態として武力を突出させた欧州が近代文明を産み出した。 これらの地は、争わずに食料を得ることの困難な地であり、「和をもって尊しとなす」などの思想など基底になることはあり得ず、単なる理想に終わるのは当然。
争わずとも和するほうが食料を獲得し易くなる方向に科学が発展すればいいのだが、と強く思う今日この頃である。
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