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終戦記念日だ!知るべき真実 その4

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 8月15日(水)04時01分37秒
返信・引用
 

連携捜査

参謀第二部副部長Carter Clarke大佐は1948年8月末もしくは遅くても9月には、Gardnerによる"特別報告書 その1"を読み、FBI渉外担当のS. Wesley ReynoldsにFBIで把握しているKGBおよびGRU諜報員のコードネームの開示を要請した。ClarkeがKGBの暗号解読成果をほのめかしたので、FBIは興味をそそられたようであった。大戦中のソ連将校内偵結果およびBentleyやその他転向者による告発は、米国内に居住するソ連諜報員の実在を示していたが、FBIはこの時点ではそれら諜報員がまだ米国に潜伏中であると確信するに至っていなかった。FBIは直ちに200名ほどのコードネームリストをASAに送った。そのリストにはGardnerの解読結果と重複する名は殆ど見られなかったが、長期間に渡って連携することとなる捜査機関(FBI)と情報(諜報/防諜)機関(ASA、後にNSAへ統合)によって、半世紀後には「ヴェノナ」として有名になるプログラムが、この時点で開始されたと言ってよい。連邦捜査官と暗号解析官の協力関係は現在も持続している。

しかし、政府内で防諜/捜査諸機関の完全な協力体制が確立されるのはまだ数年先であった。関係諸機関から毎日ホワイトハウスへ送付される報告書が未開封のまま照査されることもなく溜まっていくのを不快に思ったトルーマン大統領が諜報戦略情報の大規模な共有統合を提唱した。1945年のことである。彼が企図した中央戦略情報群(CIG)は防諜機密や戦略機密の効率的な処理を目的としたが、その体制は遅々として進展しなかった。米国の情報機関は全体的に大統領やその補佐官達へ防諜情報やそれに関する分析をプレゼンテーションする点で余り良い仕事したとはいえない。例を挙げれば、フーバーFBI長官は共産主義者の策略やソ連側諜報活動について頻繁にホワイトハウスへ報告を上げていたが、それらの報告のうち何件が実際に大統領まで届いたか、また大統領補佐官たちが報告書をどれだけ真剣に捉えたか、は不明なままである。

トルーマン政権下における諜報組織の再編が断片的でほとんど停滞したままであるにも拘らず、防諜組織間の分業体制は第二次大戦初期に比べて大きく進展していた。新しく設立された「国家安全保障会議(NSC)」で、国内治安と国内防諜体制の維持を引き続きFBIと軍部の管轄とすることが決定された(NSC-17/4と17/6、1949年)。「国家安全保障会議(NSC)」に加わっていない組織はNSCに情報提供ができるだけで、国内治安維持に関わる作戦行動に参画することは出来なかった。新しく設置された中央情報局(CIA)はOSSやCIGに組織的に最も近く、それらを継承する機関であり、機密保全についてはOSSの芳しくない評判も結果的に引き継ぐことになった。この時点で、Gardnerらによるソ連暗号の解読成果をCIAが目にすることはなかった。が、前身の一つであるX-2支局に比べて、CIAの防諜幹部にはより多くの「通信諜報」成果を共有することが出来た。また、米陸軍と米海軍の合同機関である「合同防諜戦略情報センター(JCIC)」にもCIAは一時的に参加し、当時最新の諜報機密を得ようとした。これは戦時中のX-2支局による「ULTRA」レポート利用を活動モデルとしていた。Clarke大佐がFBIに接触したのと同じ頃、JCICはGardnerの"特別報告書"を入手した。しかし、FBIはJCICに参加したり、ソ連暗号解読について協力体制を敷こうとはしなかった。1949年初旬にJCICがGardnerの新たな暗号解読成果について情報開示を要求した時、Gardnerの上司であるClarkeは明らかに何も情報を提供しないように指示した。ソ連の諜報活動や暗号解読で得られた戦略情報の統合運用にはこのように派閥主義が渦巻き、人員不足にも悩まされていた。よって「戦略情報の総合的な分析運用」という目標は達成されたとは言えない。その後数年間、捜査上の大きな負荷をFBIが担うことになる。部門間の調整役として最も重要な任務がFBI特別捜査官Robert Lamphereに与えられたのである。

「私は敵の玄関口に気付かれず忍び込んだようなものだった」とLamphereは捜査時の記憶を手繰る。1948年春、LamphereはWesley Reynoldsと共にASAとの連絡任務に就き、その年の10月にはMeredith Gardnerと私的な会合を持った。そして「VENONA」プロジェクトにフルタイムで関わることになった。FBIがASAの解読結果をソ連の諜報活動に対して有効活用できるようになったのはLamphereの忍耐と執念の賜物である。Lamphereを通してFBIは解読成果だけでなく、ソ連潜入工作に対するGardnerの考察なども知ることが出来た。Gardnerらの部署は見返りとして、更なる証拠、ソ連諜報員の身元情報や新たな手がかりなどをFBIから入手した。FBIとASA二者による共同の検証作業は様々な仮定や矛盾する前提と入手済みの証拠を逐一照合していくもので、この作業から得られた成果は非常に大きいものであった。

Lamphereが解読結果を捜査で利用し始める頃には、「国家に対する忠誠」や「ソ連の仕組んだ赤い罠」などについて米国社会全体を巻き込んだ論争がますます過熱し、米ソ関係緊迫という状況が形成されつつあった。1948年7月には、「著名な米国人が反愛国的な活動をしている」という申立てが大衆に暴露された。Bentleyが下院の反米活動監視委員会(the House Committee on Un-American Activities=非米活動委員会)で話したのである。中でも彼女の証言は、Lauchlin Currie(米大統領補佐官)が米国のソ連暗号解読作業に圧力をかけて妨害しようとしたことを詳細に指摘していた(ASAによる暗号解読作業が公式の場で暗示されたのはこれが最初かもしれない)。2,3日後にはWhittaker Chambersがルーズベルト政権下の高官、Alger HissとHarry Dexter Whiteが「隠れ共産主義者」であったことを指弾した。告訴された人々による必死の否定とその支持者らによる支援は、燃え上がる論争に油を注ぐ形となり、ちょうどその年の秋口には選挙が迫って来ていた。共和党議員や共和党支持者はBentleyの証言を諸手を挙げて歓迎した。共産主義者による破壊活動に民主党が無関心であった(放置していた)事実は久しく隠蔽されていたが、その証拠が白日の下に晒されたからである。トルーマンはこのような批難をひどく嫌った。特にAlger Hissの件については、「共和党のでっち上げ」であるとさえ主張した。

トルーマンはAlger Hiss、Harry Dexter Whiteやその他の政府高官に対する告発を否定し続けた。彼らは、トルーマンが大統領執務室を去る1953年1月までに、ASAにおけるソ連暗号電文解読で特定された人物達である。トルーマンが「VENONA」文書解読成果について全く報告を受けていなかったか、報告されていてもその重要性を理解していなかったと推測できる。大統領が全く報告を受けていないというのは奇妙な話であるが、「VENONA」文書解読成果について大統領に報告があったことを示す証拠がないのである。どのような場合であれ、トルーマン大統領の言い分はいつも、「共和党は何でも"国家に対する忠誠"と結びつける」、「大戦下における潜入工作はそんなに深刻なものではなく、米国当局は十分に阻止した」というものであった。

1948年12月、SIMAというコードネームを持つソ連側内通者(工作員)Judith CoplonがFBIによって特定された。1944年にソ連によってリクルートされた若い司法省外国エージェント登録局(米国政府以外から資金提供を受ける、もしくは米国以外の政府の利益のために活動する組織を登録する部署)の職員である。Coplonはおそらく「Venona」文書解読成果を手がかりとして逮捕された最初の容疑者である。FBI捜査官はCoplonと国連職員として潜伏していたKGB幹部を1949年3月、同時に拘束した。このKGB幹部と接触中のCoplonがハンドバッグに機密文書を忍ばせていたことが彼女のスパイ行為の動かぬ証拠となった(この【機密】文書はFBIがCoplonのオフィスで彼女が盗むように仕組んだ囮の偽機密文書である)。フーバーFBI長官か、もしくは(可能性は低いが)より高位のトルーマン政権高官はFBI捜査官がCoplonの公判で「Venona」文書解読成果について証言することを禁じた。米国による暗号解読成果を保護するために、検察官や政府側証人は回りくどい、迂遠な表現を強いられた。Lamphere特別捜査官の証言を例にとると、「Coplonに容疑がかかったのは、信頼できる"秘密情報提供者"の情報提供の結果であって、盗聴によるものではない」などである。このような過程でCoplonに下された有罪判決は控訴審で覆る可能性もあったが、この後、他の諜報員に対して繰り返される公判においても、山のような証拠で隠蔽し、米国史上最高度の機密事項である暗号解読成果は秘匿された。

Coplonの公判過程によって、その後の2年間に集中する捜査から起訴への一連の作業パターンが確定することになった。Meredith Gardnerら(1949年5月より米軍保安局AFSAに支援される)がソ連側諜報員のコードネームや暗号解読成果などをFBIに提供し、LamphereらFBI特別捜査官らはその手がかりに基づいて裏付け捜査を行った。以下、捜査過程の一端を時系列に沿って記述する:


・1949年2月、「G某」が大戦中にワシントンの英国大使館に送られた英国外務省電報について言及する暗号伝文を傍受した。その当時はまだ、暗号中に見られる「G」、「GOMMER」、「GOMER(HOMERのロシア語転写)」等が、KGBに打電している同一の諜報員を指していることは、米国および英国の暗号解読者によって突き止めてられていなかった。しかし1951年5月初旬までにはFBIによって、これらコードネームの指し示す候補者リストの名前が一人に絞られた。英国外務省外交官Donald Macleanである。Macleanと同じく英国人Guy Burgessはすぐにソ連へ亡命せざるを得なくなった。

・1949年9月、「REST」および「CHARLS」というコードネームが戦時中のマンハッタン計画に参画した一人の科学者であることがFBIの捜査で判明した。物理学者であるKlaus Fuchs(ドイツ生まれ英国在当時、理論物理学者)である。彼の論文に言及する暗号電文も一件存在した。英国当局は1949年末に彼を尋問した。Fuchsが英国当局に吐露した情報によって、FBIは1950年5月22日、フィラデルフィアでHarry Goldを逮捕した。

・1950年2月、FBI特別捜査官Lamphereは「CALIBRE」というコードネームが、戦時下でマンハッタン計画進捗中のロスアラモス研究所に投入された中堅工作員ではないかと睨んだ。AFSAによるその後の分析とHarry Goldが提供した情報によって、David Greenglassが捜査線上に浮かび上がった。1950年6月15日、David Greenglassはソ連側工作活動に携わったことをFBIに認め、彼の義理の兄であるJulius Rosenbergの関与も自白した。

・1949年、[NICK」というコードネームを持つAmadeo Sabatiniという男が捜査線上に浮かび上がってきていた。Amadeo SabatiniはKGB諜報員Morris Cohenとスペインで共闘した男である。SabatiniはCohenについて黙秘していたが、FBIの捜査をJones Orin Yorkに向けることになった(ほぼ同時期に「VENONA」文書解読過程で「NEEDLE」というコードネームであったことが判明)。1950年4月の尋問でYorkは共に行動した作戦要員はWilliam WeisbandというAFSA(米軍保安局)の職員であると供述した。翌月にWeisbandは停職処分となる。

・1950年6月下旬、ニューヨーク在住の技術者Julius Rosenbergが、米国で科学技術上の機密を収集した諜報員(LIBERALとANTENNAというコードネームを持つ)に該当するとFBIが断定した。2通の暗号伝文は彼の妻Ehtelに言及していた。RosenbergはDavid Greenglassの証言に基づき事情聴取された。その後、尾行対象としてFBIの監視下に置かれたが、1ヵ月後まで逮捕されることはなかった。

1949年から1950年の間に、1944年発信の伝文を解読し、ハーバード大学で物理学を専攻する学生Theodore Alvin Hallに対するソ連側諜報組織の工作活動を突き止めた。その後まもなく、FBIは他の伝文で使用されたコードネーム「YOUNGSTER(MLAD)」がHallに当てはまると特定し、1951年に捜査官がHallを尋問したが、Hallが起訴されることはなかった(起訴されなかった理由として、Hallのスパイ行為を立証するには「VENONA文書」とその解読成果の開示が不可欠であったからと推測される)。

暗号解読によって、Elizabeth BentleyとWhittaker Chambersによる告発内容が裏付けられた。1950年6月までには、KGB発信の伝文に現れた「ALES」というコードネームは、前国務省補佐官であり現在偽証罪で服役中のAlger HissであるとFBIは特定した。同じ頃、Lamphere(FBI捜査官)はGardnerに、コードネーム「JURIST」は前財務省次官補Harry Dexter Whiteであるという事実を伝えた。Harry Dexter Whiteは1948年8月に米下院反米活動監視委員会でWhittaker Chambersの告発内容を否定した直後(3日後)、心臓発作で急死している。2,3年の後には「VENONA」文書解読によってもう一つの驚くべきスパイ事件が明らかになった。FBIによって「MARQUIS」というコードネームがJoseph Milton Bernsteinであると特定されたのである。Joseph Milton BernsteinはGRU諜報員であり、米太平洋問題調査会と「Amerasia(共産主義者の【資産家】Frederick Vanderbilt Fieldによって創刊。主に極東問題について論じる)」双方の関係者であった。

双方の板挟み

KGBは相次ぐ告発、逮捕、起訴といった事態に驚いたわけではなかったが、モスクワの情報機関幹部はFBIやAFSAと同じジレンマに陥っていた。すなわち、米ソ双方が握る情報源(ソ連:米国潜伏の諜報員 / 米国:VENONA文書)の存在が漏洩してしまうことで情報機関の存立自体が危機に瀕する可能性を孕んでおり、余りに繊細、高度な機密に属するため取扱に非常な注意を要するという性質によってである。米国とその同盟国は容疑者を内偵する場合に慎重にならざるを得なかった。なぜならソ連側も同じく慎重になり、諜報員の曝露を避けるため何らかの防護手段を講じている可能性があったからである。

William Weisband(ソ連側諜報員:ロシア系ユダヤ人、1920年代に米国移住、1938年に米国籍取得)がアーリントンホール(ASA/AFSA)のロシア課に着任した1945年より、ソ連がアーリントンホール(ASA/AFSA)ロシア課を監視下においていたのは確実と思われる。アーリントンホールロシア課で進捗するソ連外交通信解析作業についてWeisbandが最初期にソ連側諜報員として報告した内容はおそらく、米国によるソ連暗号解析の全体像を把握したものではなく、ソ連側暗号が解読され米国に逆利用される可能性についてはモスクワに十分な警告を与えるものではなかったであろう。1947年までにはアーリントンホールに解読可能な伝文群が全て移管されたので、同年までにはWeisbandがKGB暗号伝文が解読されいることを報告した可能性もある。いずれにしろ、米国によるソ連暗号解読成果の概略をWeisbandが掴みかけたところに、英国人外交官Kim Philby(ソ連側諜報員:後に「ケンブリッジ5」として知られる英国人ソ連側諜報員5人組の一人)が米国情報機関の連絡員としてワシントンの英国大使館に着任した。1949年秋である。Philbyは米国情報機関から通常の解読法による解読成果とその分析レポートを職務上誰に憚ることもなく易々と入手した。

Philbyの時宜を得た報告によって、KGBは何人かの重要な諜報員や作戦を保護することができた。1949年10月、Klaus Fuchsと関わった米国在住諜報員達にメキシコへ高飛びするようモスクワから勧告があったことは多くの状況証拠から見て、ほぼ間違いないと思われる。この結果、MorrisとLonaのCohen夫婦、諜報幹部の"MARK"など何人かの諜報員は米国のKGB諜報員達に対して狭まりつつある包囲網をすり抜けることができた(Cohen夫婦は1961年英国で収監される)。

「William Weisband」とは誰だったのか

1950年、Jones Orin York(コードネーム: NEEDLE)はFBIに1930年代半ばよりKGBに機密を横流ししていたことを認めた。西海岸の航空機関連企業の従業員であるYorkが言うには、1941-42年におけるKGB側統括者はBill Weisbandであり、Yorkが文書撮影のためにカメラを購入する時にWeisbandが援助したとのことである(a)。

最も機密度が高く、要員の選定、身元調査も慎重を期すべき米軍保安部(AFSA)にソ連のモグラ(スパイ)が紛れ込んでいるというのは不快な事実である。Weisbandはロシア人の両親の元、1908年エジプトで出生している。Weisbandは1920年に米国へ移民し、1938年に米国籍を取得した。1942年には米陸軍通信傍受部(SSA)勤務となり、北アフリカとイタリアで通信諜報や通信機密保全の任務に就いた。ここでの任務を通じて、複数の重要な【友人】を得ることになった。この後にアーリントンホール(SSA)ロシア課勤務となる。明るく社交的で人当たりの良いWeisbandは暗号解析者としてではなく語学担当要員(流暢なロシア語を操ることができた)として、アーリントンホール(SSA)ロシア課の全作業を知ることができる立場にあった。Meredith Gardnerは自分が1944年12月のKGB暗号伝文から欧米の原子科学者の氏名を抽出する作業を、Weisbandが注視していたことを記憶している。

Weisbandがソ連による潜入諜報工作とのかかわりを認めることはなく、米政府がWeisbandを起訴することもなかった。Weisbandは国家反逆容疑でAFSAの停職処分中、共産党活動に関わる連邦大陪審の聴取に出席するひつようがあったが欠席した。この結果1950年11月、Weisbandに法定侮辱罪で懲役1年という判決が下された。彼は1967年に急死している。

VENONA文書の中にWilliam Weisbandとの明確な関係を示す文書はない。しかし、「ZVENO(ロシア語でlinkを意味する)」というコードネームに言及する伝文は3通存在する。解読済みのVENONA文書で時系列上最も古い伝文は、ロンドン滞在のKGB諜報員がイギリス赴任待ちの「ZVENO」と連絡を取るための手段について言及している。解読された1通の暗号伝文によると、「ZVENO」はヴァージニア州でイタリア語研修課程を修了し、7月中旬までには英国に出航予定となっている(b)。NSA(米国家安全保障局)の記録によると、Wesbandはアーリントンホールでその6月に語学練成課程(おそらくイタリア語)を修了し、7月17日に出航し7月29日にロンドンへ到着している。

(a) YorkがFBIの尋問で語った内容は以下の文書で参照できる:
ワシントン支局覚書「William Wolf Weisband」1953年11月27日 文書番号34

(b) 「ニューヨーク981よりモスクワへ」1943年6月26日。この暗号伝文が完全に解読されたのは1979年である。

潜入工作員として国家反逆行為に従事した政府職員や高官らに対する起訴、公聴会が集中豪雨のごとく米国内で同時発生し、社会全体に非難と疑念が渦巻く状況が形成された。後の世で「赤狩り」と呼ばれる時代の始まりである。このような米国社会全体が共有する感情は、共和党議員が東欧と支那(China)の共産化を許してしまったトルーマン政権の失策を厳しく指弾するときにも色濃く反映された。国際共産主義への「弱腰」もしくは「容認」はトルーマン政権の特徴であったが、「家で惰眠を貪った当然の結果である」と共和党議員に酷評された。米国内では国内治安/防諜(反共)体制を意図的に無視したのではないかというトルーマン/ルーズベルト両政権への抜きがたい疑惑が形成される結果となり、戦時下のアメラジア事件 【1945年OSSの指摘、FBIの捜査により発覚。OSS[米国戦時情報局]職員が自分が1944年に執筆した機密文書の流用を1945年1月「アメラジア」誌上で発見。米国国務省、米国海軍将校、米国共産党書記長、支那系共産党員を巻き込んだ大規模なスパイ事件。1946,50,55,56,57年に米国議会によって調査】 の民主党主導による隠蔽工作の発覚時に世間の非難をより激しいものにした。1953年にはアイゼンハワー政権下の司法長官Herbert Brownellが、1946年にHarry Dexter Whiteに関してFBIから警告があったにも関わらず、これを無視したトルーマン前大統領を非難する事態に発展した(c)。支那を共産主義勢力の手に渡してしまった国務省潜伏の極左官僚へ集中する米国民の怨嗟、自らの背信行為に対して浅薄な言い訳を繰り返す政府職員と彼らに対する米国民の非難、憤激 - これら混沌極める世情の中で共和党上院議員Joseph McCarthyらは用意周到に動いた。「ヴェノナ」計画による暗号解読成果を秘匿しておくという暗黙の了解により、米国は政治的、社会的な犠牲を強いられる結果となった。ソ連潜入工作の深刻度に対する議論は、米国内で信頼できる情報源が失われてしまったことから、米国社会全体を二分した。反共主義者は、米国政府が把握しているスパイなどでもまだ米国社会の広範囲に渡って残存している可能性を疑っていた。一方、政府による愛国キャンペーンを批判する勢力は、容共論者がスケープゴートとして吊るし上げられる結果とならないか、危惧した。彼らは、Julius RosenbergやJudith Coplonらの容疑や捜査結果詳細の全てが米国々民に知らせているわけではないという事実を敏感に察知していたのかもしれない。しかし、国際情勢がますます緊迫していく中、当時の米国政府が知り得た情報を元に決定した「ヴェノナ文書秘匿を継続する」という判断に不合理な点はない。朝鮮戦争の激化に伴い、対ソ宣戦布告の可能性が現実味を増しつつある状況で、米国がソ連に対し保持している暗号解読上の優位性を情報開示によって台無しにはできない、という見解は当然のごとく米国軍事/情報部門指導者のほぼ全員が共有していた。たとえ、モスクワが米国による暗号解読を察知していたとしてもである。

(c) 1953年11月の非難について、Brownell司法長官はアイゼンハワー大統領の承認を得ていた。司法長官も大統領もHarry Dexter Whiteに言及する暗号文書の解読結果に間違いなく眼を通していたと思われる。実際に、アイゼンハワー大統領は1947年の陸軍参謀総長時代に参謀第二部(G-2:諜報担当)より報告を受けていたはずである。FBIがHarry Dexter Whiteについて警告した内容は以下の文書で参照できる:
「HooverからVaughanへ」 1946年2月1日、文書番号16。

 
 

終戦記念日だ!知るべき真実 その5

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 8月15日(水)03時56分51秒
返信・引用 編集済
  米国による対ソ防諜戦術の変化に伴って、米国共産党にかかる政治的かつ法的な圧力が増大した。この時に制定された二つの法律で米国司法省は米国共産党を弱体化に追い込むことができた。1949年から1957年の間に、外国人登録法(スミス法として知られる)によって米国政府は10人以上に及ぶ米国共産党の最上位指導者らに武力による政府転覆を目論んだ罪で有罪判決を下すことができた。引き続き、トルーマン大統領の拒否権を覆して米国連邦議会が緊急拘禁法(Internal Security Act: マッカラン法として知られる)を可決した。これによって共産主義および共産主義者の関わる組織には政府登録が課せられ、緊急時には潜伏するスパイや工作員の拘束が可能となった。
上記二法案およびその他の的確な政府措置により、1951年頃に米国共産党は部分的に地下組織化することになる。米国共産党幹部達はこの動きを党中枢保護のためにやむを得ないものと考えたが、実質的には米国共産党の弱体化に拍車を掛けることになった。これに加え、ソ連のNikita Khrushchev(フルシチョフ)書記長が1956年に発表したスターリン批判によって、米国共産党内部での議論や士気が消沈し、更なる脱党者が続出することになった。ソ連の諜報幹部達が、厳密な監視下に置かれている米国共産党解体へと舵を切ったことは明白であった。ソ連からは諜報員へ、米国共産党関係者とのあからさま接触を避けるように指示が下った。1953年までにFBIは、米国共産党がもはや潜入諜報工作の深刻な脅威ではなくなったと判断していたが、米国共産党という組織自体については、新たなスパイ獲得の潜在的温床である、と見なしていた。しかし、ソ連の外交官や国家自体に対する集中的な調査や内偵にもかかわらず、公的な身分を保証されて米国に滞在するKGBやGRUの諜報将校らが、米国内で工作員と接触したり、米国内で有形無形の影響力を行使しようとする試みが中止されることはなかった。
その後の「VENONA」
戦時暗号伝文解読のための共同作戦はその後何年も継続されたが(解読成果の多くは1960年代から70年代の内に開示されるはずだった)、「VENONA」解読によって割り出せる米国潜伏のソ連諜報員数は1950年代当時で既に減少してきていた。その結果としてCIAが「VENONA」計画に積極的に参画していくこととなる。1952年のFrank Rowlett(暗号開発者: 第二次大戦中、SIGABA暗号機を設計)CIA着任後、海外諜報部門と防諜部門から選抜された職員に「ヴェノナ」解読成果の使用が許可された。目的は、スターリン死後に亡命してきたKGB幹部やGRU将校の供述を確認/照合するためである。亡命者や転向者の証言はかつて米国防諜諸機関にとって、ソ連諜報工作に関して比較的新しい情報を提供してくれる第一級の情報源であった。米国の防諜担当者の作業は、亡命者や転向者の証言をそのまま捜査に利用するという作業から、その証言を「VENONA」解読成果や関係諸機関からの情報と突き合わせて世界規模で展開するソ連諜報幹部の洗出し作業へと次第に推移していった。このようにして「VENONA」文書は米国の防諜関係者にとって捜査や内偵の道筋を決める大きな判断基準となっていった。
1957年は再びスパイ事件によって報道が過熱する年となった。早速この年の1月からFBIの捜査陣も殺気立つことになる。FBIが10年以上掛けて追い続けてきたソ連側諜報員Jack Sobleとその一味を、二重スパイBoris Morrosの報告を基に拘束したのである。Jack Sobleは1943年4月にVassili Zarubinと行動を共にしているところを、FBIによって現認されていた。さらに重大事件は続発する。同じ年の春には絶妙なタイミングで亡命事案が発生した。不法滞在のソ連諜報員Reino Hayhanen中佐が諜報員としての信用度と能力に疑念を抱かれてニューヨークからモスクワへ送り返されることとなったが、Hayhanen中佐は自国で待つ懲罰を恐れてパリのアメリカ大使館に駆け込んだのである。Hayhanen中佐は彼に指令を与える上司の名前は「Mark」という通称以外に知らなかったが、この「Mark」という得体の知れない男が常駐するブルックリンのアジトについて米当局に詳しく供述したのである。FBIの尾行も巧みにすり抜ける【玄人】である「Mark」の滞在するホテルにやっと踏み込んだときには、工作員を通じて極秘に入手した機密文書や諜報に必要な道具などが見つかった。「Mark」として知られるこの謎の男は1957年6月に逮捕され、「Rudolf Abel大佐」と自分の氏名と役職を名乗り、それ以外は捜査への協力を拒絶した。この男の実名は「William Henry Fisher」であり、英国生まれのKGB上級幹部である。米国には1948年に潜入した。Abelの逮捕によって米国史上初めてソ連による国内諜報活動が摘発されたこととなる。Abelは潜伏諜報員の大物、Iskhak A. Akhmerovの後継者として派遣されていたのかもしれない。
FBIにとって多忙を極めた1957年はニューヨークのGRU潜伏(違法)諜報員、Walter Tairovと Margarita Tairovに対する捜査で暮れた。だが1958年早々に、Tairov夫婦は忽然と姿を消す。夫婦が米国を脱出したのは明らかだった。この二入組に関する捜査は米国防諜/捜査機関がGRU潜伏諜報員に対して展開した最初の作戦行動である。東独のGRUにCIAが独自に潜入させていた諜報員によって、夫婦の片割れを欧州で捕捉した。CIAの潜入諜報員として東独のGRUに勤務していたPyotr Semyonovich Popov中佐から報告があったからである。Tairov夫婦に対する内偵調査はGRU/Popov中佐とCIAの共同作戦であり、これによって防諜作戦上多大な収穫を得ることとなったが、Tairov夫婦もほぼ間違いなく米国側の内偵を察知していたはずである。この夫婦の突然の逃亡と彼等による密告で、不幸にもCIA諜報員であるPyotr Semyonovich Popov中佐(GRU)はソ連に逮捕された(1960年処刑)。
1957年に頻発した重大スパイ事件の背後にある真実(「VENONA」計画)を知っていたのは、ごく僅かの米国情報機関幹部のみであった。打ち続くスパイ事件の捜査/作戦上で、「VENONA」計画が直接寄与したものは一件だけである。少なくとも米国内における対ソ防諜作戦はソ連側諜報員の内部告発や密告に頼らざるえない状況にあった。1957年の時点で「VENONA」から得られる情報がほぼ出尽くしてしまっていたからである。これは米国情報機関の努力不足ということではない。というのも、NSAはソ連関係の通信を常時傍受し詳細に徹底検証した適切な判断の下に、「VENONA」解読班を縮小したからである。FBIも1957年6月にRudolf Abelを逮捕するまで10年以上の間、米国共産党内に潜入捜査官を投入し、不法滞在工作員を追い続けていた。CIAの展開した防諜工作はまず、海外に点在するソ連諜報施設を掌握することであった。この一見回りくどく見える作戦には、ソ連諜報将校の亡命を誘発させるという繊細な目的(REDCAP計画)と米国に不法滞在するソ連工作員の郵便物を監視下に置くという目的(HTLINGUAL計画)があった。こうした地道な努力とは裏腹に、1950年代後半に米国情報機関が入手した手掛かりはどれも決定的なものであったが、通りすがりの他人に与えられたようなものであった。すなわち、パリの米国大使館に駆け込んだソ連諜報員Reino Hayhanen中佐や1954年にウィーンで亡命したPeter S. Deriabin少佐(KGB)である。配置済みの米国側諜報員Popov中佐(GRU)やポーランド情報将校Michal Goleniewskiの功績も無視はできない。ここにおいて、米国の情報戦はVENONA以前がそうであったように、任意の捜査/内偵に頼ることになった。
「VENONA」に対する米国の方針は、情報機関上層部の中でも中枢に所属するごく少数の者にだけ開示する、というものだった。「VENONA」計画で解読が完了したソ連の暗号伝文は少量であったが、其処から読み取れる内容はCIAやFBIなどに、米国が晒されていた重大な事態を認識させるには十分なものであった。重大な事態とはつまり、1940年代のソ連諜報工作が巧妙かつ強引で高度な攻撃性を有していたこと、共産主義および共産主義者の米国政府や国民に対する浸透度は極めて深刻であったこと、そして戦時下においてソ連諜報員が米国内で行使した影響力の全貌にはまだ不明な点があったことなどである。後の西側諸国はソ連諜報工作の攻撃性や巧妙な侵略性が寸分も衰えていないことを身をもって知ることになる。米国情報機関幹部は、米国内におけるソ連の諜報作戦を内偵する防諜職員が不足しており、その防諜手段もソ連に比べて拙劣であったことを認めている。冷戦初期に試みたソ連政府関係者や不法滞在工作員の捜査は大部分が失敗に終わった。ソ連諜報活動について新鮮な情報を得る手段として、Anatoli Golitsyn、Yuri Nosenkoなどの亡命者やAleksi I. Kulak、Dmitri F. Polyakovなどの米国に寝返って隠密裏に米国の掌握下にある二重スパイ等に頼るしかないという状況は1960年代頃まで継続した。彼等のもたらす情報は重要なものも多かったが、時に西側情報機関関係者を空振りさせるものもあった。「VENONA」文書解読で西側諸国に対するソ連諜報活動の動かぬ証拠が明らかになったが、これは「人的諜報」がソ連の諜報活動において極めて有効に機能していたことの証左でもある。このように、「VENONA」文書解読でソ連が入手した豊富な収穫(米国にとっては苦々しいものだったが)をまざまざと見せ付けられていたので、CIAとFBIの対スパイ捜査員達は亡命者の情報を余すところなく調査検証した。
以上のような経緯から防諜上の新たな懸念が生起するまで(とりわけCIAにおいて)時間はかからなかった。米国及び西側情報機関に虚偽情報を掴ませるために、ソ連が亡命事件を偽装するという可能性である。こうした可能性は現代では在り得ないと見なされているが、当時において偽装亡命者入国という懸念を払拭することは困難な状況にあった。ソ連が自身の情報機関防護を目的とし、偽装亡命者投入で虚偽情報を西側当局に掴ませ撹乱させるという潜在的可能性を排除することも不可能であった。現代に於いてその可能性は否定されているが、1960年代当時の米国情報機関は偽装亡命事件の不可能性を躍起になって証明したり、ソ連の流す虚偽情報の影響を最小化することに多くの労力を割いた。
「VENONA」によって得られた情報を厳密に秘匿したまま、米政府は防諜対策を実行していった。その結果、米政府がソ連工作から保護しようとした防諜関係者自身によってその防諜対策の緊急度や必要性を疑われるような事態も散発した。「VENONA」解読成果に眼を通すことの出来た人間は、米国防諜機関上層部でもごく少数であったので、当時情報開示されなかった人物が1940年代のソ連潜伏諜報員について収集された情報の信頼性を的確に評価することはできない。よって、1940年代から50年代にかけて米国社会全体を席巻した国内治安に関する議論や防諜施策群を、経験豊かな米国側諜報員でも「マッカーシー主義者のヒステリー(赤狩りに執着した興奮状態)」と評する場合があった。こうした風潮は米国防諜機関関係者の一部にソ連の米国工作がもたらす脅威を過小評価させる結果となった。
Elizabeth Bentleyは彼女の 【活躍】 も影響し開始された「冷戦」の終結を見ることなく、1963年12月コネチカットで死亡する。彼女は「VENONA」について知ることも、彼女自身の証言が「VENONA」解読に寄与した経緯について知ることもなかった。生前においては、米国旧政権下で共闘した古き 【同志】 全員から裏切り者、嘘つき、犯罪者と非難され続けていた。彼女の証言について巻き起こった論争はその実、単なる小競合いと評価すべきもので、当時の米国が抱えていた問題の本質は、「ソ連の潜入工作による損害の精確な把握」と「国民の自由と国内治安の統制という相反する政策要件の狭間でいかに双方の均衡を保持できるか」ということであった。この度の「VENONA」文書公開で期待される効果は、米国社会における防諜上の不安定要素の迅速な把握と排除である。これらによって、新たに浮上してきたスパイの思想背景や人格を詮索するのではなく、決して表に出てくることはない彼我双方の防諜施策や政府指導者および情報機関の能力に関する具体的な国民世論の喚起が期待される。
 

Re: 新元号は調和ではなかろうか。

 投稿者:瀬戸山豊74歳  投稿日:2018年 8月14日(火)16時04分23秒
返信・引用
  > No.3535[元記事へ]

三方限古典塾の塾生 納利一 78歳さんへのお返事です。

この辺がどうもこうも納先生の薄ぺらいところで「平和が大事だアッパカパ」みたいなところです。
明治は「聖人南面して天下をきき、明に響いて治」で在り

大正は「大いに亨て以って正しさは天道に有り」
大いに通る正道の道で在ろう」

昭和は「百姓昭期、協和万邦」
国民の平和及び世界各国の共存繁栄を願う。

調和が悪いとは思いませんが明治に入って来たコモンセンスか何かの訳語で日本民族としての重みがない
東洋哲学と言うのはそんな薄ぺらいものではなさそうです。
今、西洋哲学の1か0かより曖昧さ(虚無感や空)が求められてるがなおさら正道の道を求められるであろう。
夢みたいな空想も良かろうが現実に足をつけて生きる。それが我々世代に求められているものであろう。
でないと次の世代が持たない。
司馬氏が虚無感を簡単な世界共通語で表現出来ないと日本民族は理解されないであろう時言ってるが平成などの元号は「内平らかにして成り、外平らかにして成る」東洋哲学として翻訳出来るであろう。




>  明治・大正・昭和・平成。そのつぎは調和ではなかろうか。
>  戦争・平和。そのつぎは調和。
>  世界的戦国時代。つぎは世界的江戸時代。そのつぎは地球的調和時代。
>     人間・社会・自然・地球の健康の健康・調和・永続のために。
>
>  「新元号は何か。調和ではなかろうか。」をキーワードに検索すると、「鹿児島市医報:われにきびしく・ひとにやさしく・うそつかず・みんなが調和し幸せに。」などがヒットする。
>  「健康・調和・永続。」で、「日本社会の病気の原因と治療。」などがヒットする。
>  
 

戦前、日本が目指したもの

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 8月14日(火)12時56分40秒
返信・引用 編集済
  人種差別撤廃を主張した国 日本
https://www.youtube.com/watch?v=bRKG1Tu5lNg


欧米植民地主義の凄まじい実態
https://www.youtube.com/watch?v=MOwj5i7jlu8


インドネシアが世界一の親日国である理由
https://www.youtube.com/watch?v=doPlKvTdIbA

2000人兵士が帰国せず、独立戦争に参加した。
今、韓国・中共はインドネシアで歴史を書き換えようとしている。
日本が敗れ、韓国・中共建国を見てインドネシアの独立の気運が高まった。と


「日本は今でも祖国なんだ」
https://www.youtube.com/watch?v=USKNMa2jSeU




日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】
https://www.youtube.com/watch?v=RntUs2gjM3g


日本とパラオ
https://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A
日本が敗れ、アメリカ軍は「日本人によるパレオ人虐殺から解放した」と歴史洗脳が始まったが・・・・




GHQは、靖国神社を焼き払い払ドッグレース場に建設する計画があった。
https://www.youtube.com/watch?v=IuNFm8V2N9c&feature=youtu.be&t=21m01s


我々の先人は
https://scontent.ffuk2-1.fna.fbcdn.net/v/t1.0-9/39145054_291699698283295_8116840783249670144_o.jpg?_nc_cat=0&oh=58b409d143855b76ab73df46cfa70a80&oe=5C067D6B


世界は日本をどう見ているか オリジナルバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=Yi6t6r7FbjM
 

新元号は調和ではなかろうか。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 8月14日(火)05時19分28秒
返信・引用
   明治・大正・昭和・平成。そのつぎは調和ではなかろうか。
 戦争・平和。そのつぎは調和。
 世界的戦国時代。つぎは世界的江戸時代。そのつぎは地球的調和時代。
    人間・社会・自然・地球の健康の健康・調和・永続のために。

 「新元号は何か。調和ではなかろうか。」をキーワードに検索すると、「鹿児島市医報:われにきびしく・ひとにやさしく・うそつかず・みんなが調和し幸せに。」などがヒットする。
 「健康・調和・永続。」で、「日本社会の病気の原因と治療。」などがヒットする。
 
 

調和教育。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 8月14日(火)04時35分17秒
返信・引用
   戦争予防・世界平和・地球調和は、おだやかな心が、つくる、なごやかな空気から。世界中の子どもたちに、おだやかな心をつくる調和教育を。

 「調和教育。」をキーワードに検索してみたところ、「鹿児島市医報:われにきびしく・ひとにやさしく・うそつかず・みんなが調和し幸せに。」などがヒットした。
 「調和教育。甲突川」で、「世界中の子どもたちに言葉と哲学の教育を。」などがヒットする。
 「おだやかな心。甲突川」で、「おだやかな心・なごやかな社会」などがヒットした。
 

調和教育への教育の進化。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 8月13日(月)04時44分39秒
返信・引用 編集済
   人類の未来をひらくキーワードは調和。世界平和・地球調和・地球的調和時代を実現し永続させるにはどう考え、どうしていけばよいであろうか。

 教育の進化なくして人間の進化なし。
 勝利の喜びを追う教育から調和の幸せを求める教育へと教育が進化すれば、勝負人間から調和人間へと人間が進化するのではなかろうか。
 幼児教育・子ども教育を進化させて世界中の子どもたちの心をおだやかにするために、世界中の子どもたちに言葉と哲学の教育をするとよいのではなかろうか。
 教育進化・人間進化・社会進化から世界平和・地球調和・地球的調和時代の実現・永続を。

 「調和教育への教育の進化。甲突川」をキーワードに検索すると、「人類の進化は哲学の進化から。」、「鹿児島市医報:われにきびしく・ひとにやさしく・うそつかず・みんなが調和し幸せに。」などがヒットする。

 

Re: 哲学教育

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 8月11日(土)09時19分44秒
返信・引用 編集済
  半分塾生?さんへのお返事です。

> 「まんが日本昔ばなし」の語り手、常田 富士男さんが亡くなりましたね。
> 私も子供の頃よく見ていた番組で、こんなのを見ながら子供ながらに道徳やら哲学やらを
> 学んでいたような気がします。
> わが子にこういう機会を提供できていたかな、と考えると正直自身がありませんし、最近の
> 子供達、親達はどうなんでしょう。
> 納先生のおっしゃるように、子供たちへの哲学教育の機会が増えていけば良いのにな、と思います。


まんが日本昔ばなし 【仲よしの妙薬
https://www.youtube.com/watch?v=tKc9m6jBeZQ


まんが日本昔ばなし「うばすて山」
https://www.youtube.com/watch?v=bvGp1qsquMU

『61歳になったら、皆、山に捨てよ!』


68歳になった Dr 神の手  明治神宮の神官、宮司の子 Opさせてもらえづ渡米
https://www.youtube.com/watch?v=BKFioJCSdJg


https://www.youtube.com/watch?v=RPHL_pa9nLY


ひどい発音の英語だけど、語彙力とヒアリング力があるから通じているね。
医学の勉強に手術の練習、さらに語学まで。
脳の神経構造を知り尽くしマスターしているだからこそメスを入れられる 想像を絶する努力家職人芸の領域
欧米人はそこまでやらない 人生哲学の理念があってこそ

https://www.youtube.com/watch?v=7SP4KKa0dhc



切らない 完治治療  光免疫療法  研究費不足で渡米

https://www.youtube.com/watch?v=E3g1qVwNoZM

https://www.cancer.gov/news-events/cancer-currents-blog/2016/photoimmunotherapy-cancer

https://integbio.jp/dbcatalog/record/nbdc01423
 

医学も哲学も宇宙学である。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 8月11日(土)08時58分27秒
返信・引用
   宇宙とは何か。人間とは何か。人体とは何か。

 人は宇宙の一点。小宇宙。
 宇宙なくして一点なし。一点なくして宇宙なし。

 人体とは何かを研究する医学も、人間とは何かを考究する哲学も、宇宙とは何かを考究する宇宙学でもあると言えるのではなかろうか。

 両親なくして我はなし。先祖なくして両親なし。人類なくして先祖なし。生物なくして人類なし。地球なくして生物なし。太陽なくして地球なし。宇宙なくして太陽なし。宇宙なくして何もなし。宇宙ありてすべてあり。
 宇宙なくして我はなし。宇宙ありて我あり。我ありて宇宙あり。我は天年、宇宙は無限。我は天年、宇宙無限の中にあり。

 「宇宙学。ホーキング」をキーワードに検索すると、「宇宙学。ホーキングの画像」などがヒットする。
 「医学も哲学も宇宙学である。甲突川」で、「東洋医学的健康づくりの研究的実践。」、「生は奇跡・老いは幸運・死は必然。我は天年、宇宙は無限。」などがヒットした。
 「我天年宇宙無限。」で、「我は天年、宇宙は無限。」、「鹿児島市医報:われにきびしく・ひとにやさしく・うそつかず・みんなが調和し幸せに。」、「なぜ生きる・どう生きる・どう死ぬ・その後はどうなる・その後をどうする。」などがヒットする。


 
 

海外では

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 8月 9日(木)22時28分39秒
返信・引用 編集済
  戦争は残酷ですが、亡国だったら同じ悲哀な運命に遭うの
https://twitter.com/bluesayuri/status/895302558050271233


『焼き場で立つ少年』が背中に背負っていたのは…
https://www.youtube.com/watch?v=TTKmaTYAaBo


毛沢東の話「懐柔手段
https://twitter.com/bluesayuri/status/805428206790549504


1951年5月中共とチベットは平和条約調印
https://twitter.com/bluesayuri/status/804353086386892800


止まらぬチベット民族の焼身自殺
https://www.youtube.com/watch?v=4MU0E2iYAuw

16歳のチベット人女子生徒が焼身自殺
https://www.youtube.com/watch?v=lqazL2xunYM

中国の主な歴史

1949年   中国がウイグルを侵略 (元々、昔中国の領土 が正当理由)
1950年~     文化大革命・中国国内外で以降粛清・民族浄化及び餓死で30005000万人以上が死亡
1950年   中国が朝鮮戦争に参戦
1951年   中国がチベットに侵略し現地民数百万人を虐殺 (『農奴の解放』が正当理由)
1959年   中国がインドと国境紛争、カシミール地方の占領
1969年   珍宝島で中国軍がソビエト軍が衝突
1972年   日中国交樹立
1973年   中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
1978年   米中国交樹立
1979年   中国がベトナムを武力侵略。中国が懲罰戦争と表明  

            ベトナム現地朝日新聞駐在員 中越戦争が始まった。と、本社に外電伝えるも
            本社のイデオロギー馬鹿『聞け万国の労働者! 共産主義同志が戦う訳ない。誤報!
誤報!』


1989年   中国天安門にて発生した学生による民主化運動を軍隊で強行鎮圧し死者300以上

            NHKは 『死者はおらずと!』  報道


1992年   中国が領海法制定により南沙諸島と西沙諸島の領有を宣言
1995年   中国が歴史的にフィリピンが領有してきたミスチーフ環礁を占領
1996年   中国が台湾海峡でミサイル発射し台湾を恫喝
1997年   中国がフィリピンが歴史的に領有してきたスカーボロ環礁に領有権を主張
同年     中国が日本が固有の領土として主張してきた尖閣諸島の領有を主張
2000年   中国の軍艦が日本列島を一周。中国が尖閣諸島付近で日本の領海内の海底油田調査を敢行
2004年   中国が沖ノ鳥島は岩であり日本の領海とは認めないと主張
同年     中国の潜水艦が石垣島の日本の領海を侵犯
2005年   中国が反分裂国家法を制定し台湾に対して武力行使を明言
同年     台湾問題に介入するなら核攻撃を行うとアメリカを恫喝
同年     アメリカが中国の巨大軍事国家化を指摘
同年     中国が沖縄の日本帰属に疑問を示し沖縄は歴史的に中国のものと主張
同年     中国海軍が春暁ガス田付近に軍艦派遣で示威行動



ウイグル人に対して行われている弾圧
https://www.youtube.com/watch?v=sYHmVtX8-PY


20XX   中国の異民族を侵略する軍隊 治安維持部隊」が沖縄島民男性 強制収容 沖縄島民女性の漢民族との結婚奨励


「余剰男3400万人」
『光棍児(こうこんじ)中国の結婚できない男たち』」という番組を放送した。

それは、今の中国で大きな社会問題となっている「光棍 = 独身男」の存在
中国が急激な人口増加を抑制するため1979年から2015年まで施行していた「一人っ子政策」。
しかし、それが原因で男女比率のバランスが崩れ、結婚したくてもできない「光棍(こうこん)」と呼ばれる独身男性が急増し

国家統計局が発表した最新の人口統計の数字によれば、
2015年末の時点で、中国の総人口において男性人口が70,414万人であるのに対し、
女性人口が67,048万であった。簡単に計算すれば、総人口において男人口は女人口より3,388万も多くなっており
男女人口のバランスが完全に崩れていることが分かる。
どうしても男の子が欲しい多くの農民たちが驚くべきほどの「対策」をとったのである。
一部の人々は生まれたばかりの女の子を「死産」と称してその場で「処分」してしまい、
多くの人々は出産の前に胎児が女の子だと分かると、それを堕してしまうのである。

このようなことは30年間にもわたって全国で行われていると、その間に生まれて成人する男女の比率が大きく狂ってしまうのは当然のことである。
先ほど総人口における男女人口の差は3388万人であったことを述べたが、
その際の男女人口比率は105対100で、100人の女性に対し男性が105人で、男が5人多いということになる。
それに対し、例えば80年代出世の人口となると、男女比率はなんと136対100となり、100人の女性に対し男が136人もいるのである。

そしてそのことの意味するところは要するに、
80年代出生の中国人男性は、136人の中の36人が理論的には一生結婚できない、というわけである。

*******************

中国李克強(リー・クォーチャン)首相 が2018年5月10日から北海道視察のなぞ?

北海道も沖縄の影響で独立を考えてると言う
佐藤氏は北海道独立研究会の会長
佐藤氏に投票した人「北海道も独立したい」と。
何故?この言論が出たのか、悲しい!「占守島守備隊の勇敢に防衛戦闘したこそ、北海道分割の悲劇
 

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