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副題に、注目

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 6月26日(火)11時16分7秒
返信・引用 編集済
  国基研創立10周年シンポジウム
「世界の近未来を予測する―日本は生き残れるのか?」
第1部 基調講演 詳報


国基研 創立10周年シンポジウム/2018年5月17日/イイノホール
トッド博士の講演タイトル「不確実性が高まる世界――アングロサクソン世界の危機について」に、こむずかしい、いかめしすぎる、と身をひいてはならない。博士が言わんとすることは、実にシンプルなのだ。中国、北朝鮮、中東、EUそしてアメリカ…、変動きわまりない世界に日本および日本人が安全に暮らすのにはどうしたらよいのか。「フランス人左派で平和主義者」を自称するトッド博士が試みた日本への提言とは、観念的平和論者を仰天させるに十分だった。つまり、アメリカの“核の傘”ならぬ“独自の核武装”こそ平和問題の核心だというのである…。
(登壇者略歴)
エマニュエル・トッド Emmanuel Todd
 歴史人口学者、家族人類学者。1951年生まれ。現在、フランス国立人口学研究所(INED)に所属。ケンブリッジ大学に入学後、1976年に『工業化以前のヨーロッパの七つの農民共同体』と題する博士論文を提出し、博士号を取得。同年、最初の著作である『最後の転落』で、人口統計学的な手法を用いて旧ソ連の崩壊を予測した。これは数か国語に訳され、25歳にして国際的に知られるようになった。その後も、国際社会の全体的構造を家族体系により分類し、2002年に出版された『帝国以後――アメリカ・システムの崩壊』ではアメリカの金融危機を予告し、世界的なベストセラーとなった。主な著書にアラブの春を見通した『文明の接近』や『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア(上・下)』『グローバリズムが世界を滅ぼす』『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』など多数。





続き



私は「アメリカの皆様、フランスは核保有国ですので、きちっと私たちに礼儀を尽くしてください」というジョークをフランスのラジオで言いたいと思っているほどです。

日本に関して二点、困難で苦痛を伴う点について触れます。

二〇〇六年、アメリカがブッシュ・ジュニアの時代でしたが、私は朝日新聞のインタビューに答えて、日本は核武装について考えるべきだと提案しました。その提案の反応を私は興味深いと思いました。東京に行けば、私のオープンな態度は好感が持たれると思っていました。日本が核武装するに足る国だと認められたことは、第二次世界大戦が本当に終わったということです。

ところが、皆さんの反応は、核武装は考えていない、痛みを伴いすぎる、広島と長崎の記憶がまだ鮮明にある、というものでした。私は他人の話を理解できますし、世界の支配者でもありませんので、日本にとって唯一の安全保障の可能性は、アメリカとの同盟関係だと、そのとき、思いました。

また、ロシアとの協調が、すばらしい補完になったでしょう。それは日本の安全保障戦略にとって、好ましいものだと考えました。私は日本とロシアの歴史も知っていますし、ロシアとの問題も知っています。日本人はロシアが第二次世界大戦の末期に参戦したことで、本当に裏切られたと感じています。

しかし、私は歴史学者ですので、一九〇四年~一九〇五年の日露戦争について学びました。そこから、日本は大国として台頭しました。しかし、日本はその対価、財政的に大変な代償を払うことになるのです。約八万五〇〇〇人の日本兵が死にました。日露は歴史的に難しい問題をはらんでいますが、責任のある政治が、合理的、理性的に進める外交関係は過去の対立を乗り越えることです。

フランスとドイツは対立を乗り越えることができました。ドイツは一世紀の間、三度もフランスに侵入しています。それでも、今では良い形で協調しています。ドイツとフランスにできたことは、ロシアと日本でもできると思います。

最後に、核兵器について話します。アメリカは、現在、非合理的な突発的な発言をして、世界に混乱を招こうとしています。例えば、イランとの経済関係を分断させること。中東で混乱を招くこと。核拡散を停止するような合意から脱退すること。このことによって、北朝鮮は今後、核武装、弾道ミサイルの開発を再開するでしょう。

アメリカは、中国の南シナ海における拡張をストップすることができなかった。実際の懸念として、北朝鮮の場合ですが、日本の戦略的な状況はもう理性的、合理的とは言えません。世界第二位の技術大国でありながら、強国で大きな同盟国であっても、あまり合理的ではない同盟国に頼るのは、合理的な戦略とは言えません。日本は核武装することが、本質的な問いになってきていると思います。

再度、このことをもう少し具体的に、正確に申し上げます。フランス人にとって核兵器は、戦争の反対です。戦争を不可能にするものです。フランスが核保有国になったからこそ、信頼関係をドイツと築けるのです。核兵器は自分のためだけに使えるものです。従って、アメリカの核の傘というのは、ジョークだと思います。アメリカは、自国のためにだけ核兵器を使い、日本を守るために使うことはないでしょう。同じように、ドイツを守るために、フランスが核を使うことはありません。核兵器は自分のためにあるのです。

日本での議論はさまざまに入り組んでいて、第二次世界大戦に言及したり、国家主義の問題が提言されたり、左派と右派の対立について議論されたりしています。私はフランス人の左派で、平和主義で戦争は嫌いです。そんな私が、日本も核武装について考えてほしいと提言するのは、大国、強国になるためではなく、世界の権力の問題から解放されるためです。核武装は、国家主義の反対だと考えています。


https://jinf.jp/wp-content/uploads/2018/06/7bf36643f8e63c4f1865c59931893139.pdf
 
 

利他主義のユートピア。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 6月26日(火)05時02分32秒
返信・引用
   鹿児島市中洲校区に始まっている地域コミュニティづくり、地域包括ケアシステムづくりは利他主義のユートピアづくりである。

 「少欲知足。甲突川」をキーワードに検索すると、「利他主義のユートピアづくりは少欲・利他・感謝の心づくりから。」などがヒットする。「利他主義のユートピアづくり。」で、「清流の生死問答。」などがヒットした。
 

無欲大欲・少欲知足。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 6月23日(土)16時47分56秒
返信・引用
   児孫ノ為二美田ヲ買ハズ。  西郷隆盛の言葉。

 その言葉をなにげなく聞いていますと、じつに厳しい教えのようにも聞こえますが本当の意味は、むしろ家族の将来を信じてのことだったんですよね。   西郷隆夫氏の言葉。
 あるとき、あるところの土地が売りに出て、それを伝え聞いた糸さんの心が動きます。そこで、その件を西郷さんに言うんですが、その答えは次のようなものでした。
 「よかものを食べ、よか着物を着、よか家にすみたいと誰もが思うだろうが、それは本当はまちがった了見じゃ。自分の家にもし馬鹿な息子でもおれば、不憫ゆえ、あるいは田も買ってやらねばなるまい。魂の入らぬ子どもがおれば畑も買っておかねばならないだろう。しかし、幸いなことに、我が家には人並みの子が生まれている。だから、そんな余計なことはする必要がない。それぞれが成長し、それぞれが自活して相当の道を歩んでゆくであろうから。」

 引用文献:西郷隆夫の「一点」で囲む 著者西郷隆夫 監修高岡修 発行者高岡修 2018年2月22日有限会社ジャプラン発行。

 政治家は私欲がなく、公欲の大きな西郷隆盛のような人であってほしい。無欲大欲。私欲ゼロ・公欲100%。
 世界なくして、国々なし。世界のみんなの幸せのために。日本の総理は西郷隆盛のような人であってほしい。アメリカの大統領はリンカーンのような人であってほしい。世界のすべての国々のリーダーが無欲大欲であってほしい。世界のみんなは分を知り、少欲知足を心がけていきたい。世界平和・地球調和のために。人間・社会・自然・地球の健康・調和・永続のために。

 私欲は本能。公欲は理性。世界中の子どもたちに理性を育む言葉と哲学の教育を。


 「地球人の責任。」をキーワードに検索すると、「生命はぐくむ地球人の責任。」などがヒットする。「無欲大欲。甲突川」で、「鹿児島市医報:人類永続・生物永続の地球調和づくり。」などがヒットした。「少欲知足。甲突川」で、「少欲・利他・感謝の人間。無欲・利他・感謝の神仏。」などがヒットする。



 

宇宙一点。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 6月22日(金)08時10分32秒
返信・引用
   一人は宇宙の一点。宇宙なくして一点なし。一点なくして宇宙なし。

 両親なくして我はなし。先祖なくして両親なし。人類なくして先祖なし。生物なくして人類なし。地球なくして生物なし。太陽なくして地球なし。宇宙なくして太陽なし。宇宙なくして何もなし。宇宙ありてえすべてあり。宇宙ありて我あり。我ありて宇宙あり。我は天年、宇宙無限の中にあり。
 

一点で囲む。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 6月22日(金)07時14分52秒
返信・引用
   北極星が、その一点で全天の星を囲んいるように、時代そのものを、たった一人で囲んでいた人間がいた。西郷隆盛である。   高岡 修氏の言葉。

 引用文献:西郷隆夫の「一点」で囲む 著者西郷隆夫 監修高岡修 発行者高岡修 2018年2月22日有限会社ジャプラン発行。。
 

死んだつもりで未来に生きる。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 6月20日(水)06時39分12秒
返信・引用
   老人は死んだつもりで、過去人と共に考え、生かされている時間を、未来人のために生きよう。

 「死んだつもりで未来に生きる。」をキーワードに検索すると、「老人は死んだつもりで生きよう。」などがヒットする。
 

Re: 私は仏の子供です

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 6月20日(水)06時24分20秒
返信・引用
  > No.3438[元記事へ]

●之助さんへのお返事です。

みほとけの、教えまもりてすくすくと、生い育つべき子らに幸あれ。 昭和天皇の言葉。

> 私は仏の子供です  因通寺での出来事
> https://www.youtube.com/watch?v=q0hjCbRHvEg

 貴重な動画をご紹介いただきました。ありがとうございました。


 

侵略戦争

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 6月20日(水)04時04分58秒
返信・引用 編集済
  大東亜戦争は日本もその侵略戦争に遅れて参加し
結局欧米列強に排除されボロ負けしただけのことだ。
(●之助自作自演?だろう ↓クイック)
https://twitter.com/NiST_HH/status/1009093180371812353


これに、十分反論出来る資料があります。

CIA書庫・米国公文書図書館資料から原文直接リンクさせ  これは捏造できません

米国ではむしろ

日本と共に共産圏と戦うべきだとするグル―プもあった

ある闇の力

日米を戦わせ 大儲け その闇の力は今も健在

ヒント https://8108.teacup.com/tomonori/bbs/3415

などお楽しみに

数か月後に投稿しようと順に、思ったものです。

反日マスゴミが伝えたらまずいもの。

?
 

私は仏の子供です

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 6月19日(火)19時09分46秒
返信・引用 編集済
  一休み

免疫力UPの方法として注目されている「感涙療法」


涙を流す効用の一つに、免疫力を高めるというものがあります。
涙活を始めてから風邪を引かなくなった。というもの


私は仏の子供です  因通寺での出来事
https://www.youtube.com/watch?v=q0hjCbRHvEg



下記は、動画のテキスト文


昭和61年4月29日、天皇陛下御在位60年記念式典が、東京の両国国技館で皇族、各国大使、各界代表6千人を集めて行われました。



木村睦男参議院議長が祝辞を述べられると、陛下が涙を流された。



「大戦勃発の直前までもひたすら平和を願い給う
大御心をお示しになられましたことを洩れ承り、
今尚、感激を新たに致すのであります。
この大御心があればこそ、終戦に際し、
御一身の御安泰をも顧みられず、戦争終結の聖断を下され、
有難き玉音は電波により津々浦々に伝えられ、
国民は涙とともに平和回復の喜びに浸ったのであります。・・・」





昭和20年8月の終戦後、日本は未曽有の食糧危機となり、
物価も高騰し、食糧の配給は人々の生活を賄うに足りず、
不衛生で暴力が支配する闇市があちこちに立ち並びました。




それまで東亜の平和を願い神州不滅を固く信じていた人々は、
価値観を根底から否定され、

いかに生きるべきか、どう生きるべきか

という規範さえも失い、

茫然とし退廃と恐怖と

餓えが人々を襲った。




その日本人が、ある事件をきっかけに、
国土復旧のために元気になって立ち上がりました。
そのきっかけが昭和天皇の「全国御巡幸」だったと言われています。




昭和天皇の御巡幸は、昭和21年から、
神奈川県を皮切りに昭和29年の北海道まで、
足掛け8年半行われました。全行程は3万3000キロ、総日数は165日。




この御巡幸を始めるにあたり、陛下はその意義について次のように述べられました。

「戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、

大変な災厄を受けました。この際、わたしとしては、どうすればいいのかと考え、

国民を慰め、励まし、また復興のために立ち上がらせるための勇気を与えることが自分の責任と思う」





そして昭和24年5月、九州への御巡幸でのこと。

この日、陛下は、たってのご希望で、

佐賀県三養基郡にある因通寺というお寺に御巡幸されます。



このお寺には洗心寮という引き揚げ孤児の寮がありましたが、

戦災孤児や引き揚げ者の境遇を気にかけておられた昭和天皇は、

ここを佐賀県での最初の御巡幸先にされました。



各お部屋を回られた陛下は、最後に禅定の間までお越しになられます。

この部屋の前で足を停められた陛下は、突然、直立不動の姿勢を取られ、

そのまま身じろぎもせずに、ある一点を見つめられます。



それまでは、どのお部屋でも満面の笑みを讃えて、
お優しい言葉で子供達に話しかけられていた陛下が、
この禅定の間では打って変わって厳しいお顔をなされた。

入江侍従長も、田島宮内庁長官も、沖森知事も、県警本部長も、
何事があったのかと顔を見合わせます。重苦しい時間が流れる。



ややしばらくして、陛下がこの部屋でお待ち申していた女の子に近づかれました。
そして静かなお声で、引き込まれるように

「お父さん?お母さん?」とお尋ねになられました。

一瞬、侍従長も、宮内庁長官も何事があったのかわからない。

陛下の目は一点を見つめています。



そこには、女の子の手には二つの位牌が胸に抱きしめられていたのです。

女の子が答えます。「はい、これは父と母の位牌です」。

これを聞かれた陛下は、はっきり大きくうなずかれ、「どこで?」とお尋ねになります。



「はい、父は、ソ満国境で名誉の戦死をしました。母は引き揚げ途中で病のために亡くなりました」

この子は、よどむことなく答えました。すると陛下は「おひとりで?」とお尋ねになる。

父母と別れ、一人で満洲から帰ったのかという意味でしょう。



「いいえ、奉天からコロ島までは日本のおじさん、おばさんと一緒でした。

船に乗ったら船のおじさん達が親切にして下さいました。

佐世保の引揚援護局には、ここの先生が迎えに来てくださいました」



この子が、そう答えている間、陛下はじっとお頷かれました。

そしてこのこの言葉が終ると、陛下は「お淋しい?」と、

それは悲しいお顔でお言葉をかけられた。

しかし陛下がそうお言葉をかけられた時、

この子は口元を引き締め、

「いいえ、さびしいことはありません。私は仏の子ですから」



陛下は少し驚いて女のこの目を見つめたが、女の子はひるまずに続けた。

「仏の子は、亡くなったお父さんとも、お母さんとも、

お浄土に行ったら、きっとまた会うことができるのです。

お父さんに会いたいと思う時、お母さんに会いたいと思う時、

私は御仏様の前に座ります。そしてそっとお父さんの名前を呼びます。

そっとお母さんの名前を呼びます。するとお父さんもお母さんも、

私のそばにやって来て、私を抱いてくれます。

だから私は淋しいことはありません。私は仏の子供です」




こう申し上げた時、陛下はじっとこの子をご覧になっておいででした。

この子も、じっと陛下を見上げています。

陛下と子のこの間に、何か特別な時間が流れたような感じがしたそうです。



そして陛下が、この子のいる部屋に足を踏み入れられます。

部屋に入れられた陛下は、右の御手に持たれていたお帽子を、

左手に持ちかえられ、右手でこの子の頭をそっとお撫でになられました。



そして陛下は、

「仏の子はお幸せね。これからも立派に育って下さいね」とお言葉をかけられた。

その時、

陛下のお目から、ハタハタと大粒の涙が一つ、二つ、おめがねを通して畳の上にこぼれ落ちた。



すると、ふいに女の子は、小さな声で「お父さん」と呼んだ。
これを聞いた陛下は、深くお頷きになられた。



その様子を眺めていた周囲の者は、皆、言葉をなくして顔を覆った。

東京から随行してきていた新聞記者も、肩をふるわせて泣いていた。



帰路、子供達は陛下を囲み、

中には陛下のお洋服の端をしっかり握って離さず「また来てね」と言う子もいた・・・。



皇居にお帰りになられた昭和天皇は、この時のことをこう詠まれました。

みほとけの 教へまもりてすくすくと 生い育つべき子らに幸あれ

この御製は、今も因通寺の梵鐘に刻まれています。
 

言論の自由 と 捏造 とクイック

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 6月18日(月)22時45分53秒
返信・引用 編集済
  活字の怖さ

マッカーサーと裕仁との会談
この時の内容は謎のままだ。

裕仁が、『自分の命はどうなってもいい国民を救ってほしい 』

と述べたというのは、
捏造美談だ

実際は

『国民は自分を強く崇拝してるので、

処刑するより自分を生かして使った方がいい

命乞いしたのかもしれない
https://twitter.com/NiST_HH/status/1008219148927696896/photo/1

フォロワー 1,430 いい意見を言う人 のようだ常に聴講しょうと思う人数
いいね 31,806 いい意見だね!同感数


これに活字で反証しても
どのような説得力があるのだろう

活字の 応酬戦

先に言ったもん勝ち 脳裏にインプットされる

脳裏に書き換えられない様

予防反論対抗措置も 『反論に騙されるな!』

騙されるな!』

騙されるな!』

参照;
真実は・・・・・


9月27日午前10時、マッカーサー元帥の官舎、
赤坂のアメリカ大使館官邸玄関にシルクハットを
片手に持たれたモーニング姿の昭和天皇経陛下がひっそりと佇まれた。

玄関先の出迎えに当たった

フェラーズ陸軍准将とバワーズ少佐が続いて入ってくる。

一瞬、張り詰めた空気が邸内に流れた。

玄関に入ると、右斜め奥の方向に大広間の入り口が見える。
大広間には陛下を迎えるマッカーサー元帥がまっている。
ノー・ネクタイの軍服だが、
陛下をお迎えするゆえか表情に緊張の色が見える。

陛下は懸命に一歩一歩踏みしめるように、
まさに死に臨んで騒がずの心を秘めたごとくに歩をすすめられ、
マッカーサーに近づかれた。

大広間には待機していた米軍報道カメラマンが
元帥と並ばれた陛下に向けてフラッシュをたいた。

喜田貞吉(きださだきち)が聴いた会談の内容

元帥の演説が聞こえてくる。

「原子爆弾の威力は筆舌につくしがたく凄まじいものである。
今後もし戦争が起こるとすれば、原子爆弾の使用は勝者もなく敗者なく、
すべてを破壊し人類は絶滅に至るであろう。
世界の指導者は卓越せる見識により、
平和の政策をもって世界を指導する必要がある」

「敗戦日本の再建はまことに困難なものになるであろう。
しかし、もし日本が戦争を続けていれば、
日本全土は文字通り破壊しつくされ、
何百万とも知れぬ命が犠牲になったであろう。

私は日本軍と戦ってきた。
日本の陸海軍がいかにあったかを十分承知している。
終戦に際しての天皇の決意は
国土と人民をしてその苦痛を免れしめた。まことに英断である


大広間では陛下と元帥の会談が続いている。

「たとえ私の身はどうあろうとも、国民の生命は守って欲しい」

大広間からいままさに敵将の前で吐露する
陛下の烈々たる気迫がこめられた言葉が聞こえてきた。

貞吉は雷に打たれた思いだった。
陛下は文字通り

我とわが身を擲(なげう)つ決意

この官邸に臨まれたのだ。

副官フォービアン・バワーズ陸軍少佐 通訳官が証言 The testimony of the interpreter

https://www.youtube.com/watch?v=inE1DSH0jrk (動画 2分)

「あの日はいつまでも忘れません」という日本語で始まります。


元帥は陛下の所に強く歩み寄り「ようこそ、おいでくださいました」と言って、

両手で陛下の手を包むようにして握手しました。

陛下は震える手で握手を受けられ、ゆっくりと深くおじぎをされました。


マッカーサー元帥は "陛下が命ごいに来た" ものと思っていました

しかし、陛下のお申し出は「身代わり」になりたいというものでした。


「私はどうなってもいいが、天皇の名のもとに戦った人々救ってほしい


元帥は非常に驚き、日本の将来に陛下は欠かせないと確信しました

マッカーサーは天皇は命乞いに来るものと思っていたようでした。



第一次世界大戦後に退位したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が
亡命先のオランダに居た事で戦犯としての追及を逃れたような

振る舞いをするのだと思っていたようです。

ところが昭和天皇は違いました


「全責任を負うものとして、私自身あなたを代表する諸国の採決に委ねるためにおたずねした」(「マッカーサー回想録」より)

命乞いでは無く

自分に責任があり処遇を委ねると

自ら言ったのです。
 

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