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古今東西 類似した神話が

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 5月 8日(火)00時50分49秒
返信・引用 編集済
  太古の昔、どんな願いでも叶えてくれる神アイアロスがいました。
旅人イオンは自身の願いを叶えてもらうため
神アイアロスを求め世界中を旅します。
ある時は、真っ赤なマグマが流動する火山の噴火口。
またある時は、密林のジャングルを。
そしてまたある時は、気温50度を超える砂漠地帯に・・・
アイアロスがいるとされているすべての聖地に足を運びます。
旅の途中、何度も命を落としそうになりますが、
それでも神アイアロスに出会うことはできません。
最愛の家族を残し、イオンは40年という人生の大半を使います。

そして、とうとう不治の病になってしまったのです。
医者から余命一週間と告げられ、絶望の淵に立たされるイオン。
しかし、ある夜、奇跡が起こります。

イオンがふと目を覚ますと、
自身の寝室に神アイアロスが立っていました。
毎日、毎日、40年間思い続けてきた光景がそこにありました。
そうです。
とうとう、願いが叶ったのです。
しかし、あまりの神々しさに身動き一つ取れず固まるイオン。

そこに、神アイアロスが尋ねます。
「旅人イオンよ、お前の望みはなんですか?」
「・・・・!!」
イオンは我を取り戻し、毎日思い続けた願いを口にします。
毎日、毎日、思い続けた願いです。

「わ、わ、私を不老不死にしてください。」
そうです。
イオンの願いは自身の寿命を延ばして貰うことだったのです。
死ぬ間際のイオンの目は、極限まで見開き
異常な熱気を放っています。

そんなイオンに神アイアロスは尋ねます。
「その望みを叶えるのはたやすいこと。」
「しかし、寿命を延ばして何がしたいのですか?」

アイアロスの声はとても静かに、全宇宙に広がりました。
イオンは答えます。
「私はまだまだ生きたいのです。」

しかし、もう一度、神アイアロスは尋ねます。
「不老不死になり、何がしたいのですか?」
「ただ生きることが目的なのですか?」
と。

その瞬間、イオンの頭に様々な思いが駆け巡ります。
「なぜ生きていかなければいけないのか?」
「死ぬのが嫌だから?」
「なんのために生きるのか?」

「!!!!!」
「私はとんでもない間違いを犯していたのかもしれない・・・」

神アイアロスは静かに尋ねました。

「お前は生きるためにただ生きることを選ぶのですか?」

「それとも何かを成し遂げるために生きるのですか?」

イオンはその瞬間、40年という人生を無駄にし、
家族という最愛の存在までも裏切っていたことを理解した。
そして、同じ過ちを繰り返し続けるところだった、と、
細い涙を流した。
イオンは走馬灯のように自分の人生を振り返り、
そして夜が更けていった・・・・
**********
一昔前、就職したい職業ランキングでは公務員が1位。
最近では、正社員になることを
目指す子どもたちが増えてきています。


これは旅人イオンのように
「ただ生きること」、「食べるために生きる」
といったゴールを掲げる人が増えきた影響だと推測できます。

つまり、公務員という仕事が本当にやりたいわけではなく、
正社員になりたいわけでもなく、
「ただ生きること」「安定すること」を求めているわけです。

食べるために生きる、ただ生きながらえるために生きる、

そもそも、ただ生きるという人生が、
私たちが本当に望む人生であるはずがないからです。


*****************

目標を達成して、現役をリタイヤした人・・・・
悠々自適・・・・?

いいえ!統計的にそう云う人は、早死にしています。

『人は、パンのみに 生きるにあらず』


*****************

有名な教育者の格言に
「凡庸な教師はただしゃべる。
良い教師は説明する。
優れた教師は自らやってみせる。
そして偉大な教師は心に火をつける。」
 
 

目標は、どんな人。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 5月 7日(月)04時05分24秒
返信・引用 編集済
   人生とは何か。人生哲学・生死哲学。
 なぜ生きる・どう生きる・どう死ぬ・その後はどうなる・その後をどうする。

 すべての健康は哲学の健康から。
 人生の健康は人生哲学・生死哲学の健康から。生きる目標の健康から。

 どんな人として生涯を閉じるであろうか。
 人生いろいろ・人それぞれ。私は、あなたは、この人は、あの人は、どんな人として生涯を閉じるであろうか。生きる目標を列挙してみたい。
 おだやかな人。したたかな人。すてきな人。目標にされる人。西郷さんのような人。
 われにきびしく・ひとにやさしく・うそつかず・みんなと調和し幸せな人。
 われにやさしく・ひとにきびしく・うそついて・みんなと争い不幸な人。
 うそをつけない人。正直な人。馬鹿正直な人。良いうそを上手につける人。うそで他人を困らせる人。うそで信用を失う人。
 ひとのよい人。ひとのわるい人。生き方上手な人。生き方が下手な人。
 おれが、おれがの人。おかげ、おかげの人。ありがとうを言えない人。
 勝利の喜びを追う人。調和の幸せを求める人。

 「哲学の健康。」をキーワードに検索すると、「哲学内科の哲学コーナー。」、「世界中の子どもたちに言葉と哲学の教育を。」、「ウェブで実践的調和哲学を。」などがヒットする。「生死哲学の健康。甲突川」で、「自分流生死哲学のすすめ。」、「清流の生死問答。」、「鹿児島市医報:われにきびしく・ひとにやさしく・うそつかず・みんなが調和し幸せに。」、「鹿児島市医報:人類永続・生物永続の地球調和づくり。」などがヒットした。「勝利の喜び・調和の幸せ。」で、「鹿児島市医報:みんなの地球をみんなのために、よりよい星に。」などがヒットする。
 

Re: デービット・J・ルー著「松岡洋右」とその時代

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 5月 6日(日)23時24分22秒
返信・引用 編集済
  瀬戸山豊74歳さんへのお返事です。

Amazon カスタマーレビューからのコピペですが!

松岡洋右と言えば、国際連盟脱退時の演説と、戦争原因の一つである三国同盟を締結した外務大臣として有名である。

松岡は1892年12才の時に米国オレゴン州に渡り、ベバリッジ夫人により育てられ小学校からオレゴン大学を卒業する1902年まで、開拓精神の残った西海岸で育った。この時の経験が、松岡に、米国に対しては常に「毅然とした態度」で接しなければならない、そうでないとみくびられるとの米国観を修得させることになる。

松岡は、日露戦争の年の1904年に外交官となり、1912年まで中国駐在しているので第1 次辛亥革命を見ている。1916年までペテルブルグ、ワシントン駐在、1921年まで本省勤務となり、牧野全権と共にベルサイユ会議に出席している。この会議で、「外交官は他の人間により決められた外交政策を行う単なる召使である」として、将来の政治家への転身のため、外務省を退職して、1921年7 月-1929 年8 月まで、満洲鉄道理事、副総裁を経験している。したがって、松岡は満洲事情に精通していた。

満洲事変6 ケ月前の1930年2 月に政友会から衆議院議員に当選した。新人議員のとき、ロンドン会議やその後の幣原外相の無作為外交を痛烈に非難している。軍縮比率の譲歩にもかかわらず、移民法の緩和は実現されず、インドでの関税は引き上げられ、シンガポール軍港が築造され、国民の感情や利害は棚に上げて、我が国が隠忍しておりさえすれば、日本と英米との国交は良好となるとするのか。幣原の無作為外交の結論が、蒋介石の北伐時の日本人が虐殺された南京事件であり、開国以来の最大の恥辱である小幡公使アグレマン事件である。満蒙の地において幣原外相は絶対無為、傍観主義が徹底されていると、幣原外交を痛烈に批判している。

満洲事変に対する連盟の決定について、驚くべきことに、中国公使館駐在で中国事情に精通し、三国同盟については徹底して批判したあの重光葵は、満洲問題については第三国の干渉は連盟であっても毅然と排除しなければ、中国は日本との関係において常に第三国の介入を主張するであろう、それを防ぐために日本は連盟を脱退すべきであると主張している。

松岡は、斉藤実内閣、内田外相の下、1932年10月11日、連盟日本全権代表に任命された。その時、松岡は、「日本の満洲における地位は変更できない、連盟から脱退すべきでない。」との考えであった。連盟での4回目の演説である12月8 日の演説が、「人類は2 千年前にキリストを十字架にかけた。しかし、今日はどうであるか。諸君は世界の世論が誤っていないと保証できるか。ヨーロッパやアメリカの人々は、今、日本を十字架にかけようとしている。キリストを処刑したことを後悔しているように、将来、日本を十字架にかけたことを後悔するであろう。イエスが今日理解されているように、我々も世界に理解されるであろう。」という有名な十字架演説である。

連盟の英、仏、伊、独などの大国は植民地支配など現状を維持する立場であるから、日本が連盟を脱退することを望んでいなかった。英外相はリットン報告書の指摘する中国の欠点を強調し、加外相は日本の行動を弁護している。
満洲問題を検討する和協委員会に連盟加入国でもない米、露を加える提案に、松岡は大国の加入により小国による事変前現状復帰案を排斥できると見ていた。

しかし、スチムソン米国務長官は頑なに満洲国非承認であり、内田外相は事変前現状復帰でも、満州国容認でもない提案を拒否し、連盟脱退も止むを得ないと判断した。脱退の可能性が連盟に伝わり、また、関東軍の熱河への進出により、妥協案の模索から、小国側の事変前現状復帰へと連盟の流れは変化した。 しかし、松岡はこの間、一貫して、時間をかけて妥協策を模索し、連盟脱退は考えていなかったし、連盟に留まることを日本政府に伝えていたのである。

満洲は漢民族の地ではなく、清朝が崩壊した後は無主の地であり、軍閥が独立し、馬賊、匪賊の跋扈した地域となり、北京の施政権は及んでいなかった。日露戦争で満鉄経営、満洲権益を得た日本により発展した満洲に、繁栄と平和を求めて漢民族が流れ込んできたのである。満洲の地で利益を得た漢民族は、日本の満洲権益を排斥し、暴動、排日運動を展開して日本人を追い出しにかかったのである。これを抑えて、法治による5 民族協和による平和と繁栄とを築こうとしたのが満洲国建国である。

このような事情のある当時、日本としては、満洲国を認めず、現実問題としては無理な絵に描いた連盟管理( 連盟には管理態勢がないので、元の混沌とした混乱状態に戻ることは間違いない) にする連盟の決議には従うことができなかったのであろう。

松岡は、1933年12月には議員を辞職し、満洲国に渡り満鉄総裁に就任し、1940年7 月19日近衛内閣外相に就任している。松岡は、外務大臣としての三国同盟締結、日ソ中立条約締結、日米交渉を行っている。三国同盟が締結された1940年9 月当時、欧州戦争開戦後1 年が経過し、独ソ不可侵条約は継続しており、仏は既に降伏し、英国は敗戦色が濃く、日本は、米英の蒋介石への武器資金援助により支那事変を解決することができず、米国の日本に対する石油、鉄などの資源、航空機などの輸出禁止又は制限、高関税、ブロック体制などの経済圧迫があり、中国及び日本でのコミンテルンによる日本を戦争に導く攪乱があった状況である。このような状況の中、日本の指導者は、戦争を回避するためにどのような道を選択すべきであったのであろうか。

松岡は、三国同盟を、米国留学で身につけた「毅然たる態度」で米国に接し、将来、日米をパートナーとする太平洋文明への高遠な目標に向かう一つの過程であるとしていた。将来の日米交渉に影響を与えるとは思っていない。ソ連を同盟国側に付けて、米国の参戦を抑制することを目的としていた。その流れに日ソ中立条約の締結があったのである。

しかし、ヒットラーとスターリンが松岡より一枚も二枚も、外交において上であった。結果として、独国は、日独防共協定に反して、独ソ不可侵条約を締結した上でポーランドにソ連と共に侵攻し、日本は独ソ不可侵条約を信用して三国同盟と日ソ中立条約を締結した。その独国がソ連に開戦して、ソ連を英米側に追いやった。日本は、ヒットラーとスターリンとの情報戦に負けたということであろう。日本を戦争に追い込んだ米国のルーズベルト大統領とハル国務長官もスターリンに結局は騙されていた。

確かに、松岡は日本の開戦に大きく関係した。しかし、当時、日本が置かれた国際情勢に身を置いて、政策遂行者として、日本人としての尊厳を維持した上でどのように国策を遂行すれば良かったかを考えるとき、結論が得られない。松岡も日本のためにと思い行動したことは間違いない。松岡だけを責める気にはなれない。

*****************

 デービット・J・ルー著『松岡洋右とその時代』は、米国人研究者の著作であり、日本人

研究者による他の研究書には見られない論点が提供されている。

 1940年(昭和15年)7月22日、第二次近衛内閣が成立する前日、外相親任式を前にした

松岡洋右は、ジャパン・アドヴァタイザー紙のフライシャー記者のインタビューにおいて、

次のように語り、この内容は『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙に掲載された。

「民主主義と全体主義との戦いでは、全体主義が間違いなく勝利を得て、世界を支配す

るだろう。民主主義の時代はすでに終わり、民主制度は破綻を来たした。この世界に、二

つの異なった制度、または二つの異なった経済が並存する余地は無い。一方がもう一方

に屈服しなければならず、全体主義が世界支配を遂げることになるだろう。日本を金と信

用の供与で援助しようという話は、制度と経済の相違から起こる誤信である。何世紀もつ

づくであろう全体主義の後に何が来るかはわからないが、いま全体主義が勝つであろう

ことは確かである。」(デービット・J・ルー著『松岡洋右とその時代』)

 また日独伊三国同盟は、同年9月27日に締結されたのであるが、その約1週間後、松

岡洋右外相は、米国の各新聞に次のようなインタビュー記事を載せた。

「太平洋対岸の姉妹国(アメリカ)がヨーロッパ戦争に参加することになれば、日本はアメ

リカとの戦いを余儀なくされよう」

「私は次のごとき挑戦をアメリカに突きつけたい。つまり、アメリカが満足し切ってのあま

り、盲目的かつ強情に太平洋の現状維持に固執するならば、日本はアメリカと戦うであろ

う。なぜなら、現状を維持するくらいなら滅びるほうがマシだろうからである。」

「正直言って、日・独・伊三国は、アメリカが現在のヨーロッパでの戦争に巻き込まれるの

を防ぐために同盟を結んだ」(同)

 二、

 以上のような松岡外相の挑戦的な強気発言は、当然のことながら米国政府に対日不

信感を増幅したことは間違いない。翌年1月から、最後の日米交渉(諒解案)が開始され

たが、米国政府は、松岡外相に対する強い不信感を持ち続け、交渉相手としての不適格

人物として非難して来るというありさまであった。

著者のデービット・J・ルーは、次のように分析している。

「(この二つのインタビューは)アメリカの政府関係者に日本の外務大臣(松岡洋右)に対

する不信感を植え付けたことだった。控え目に言っても、アメリカの政府関係者と折衝す

るにあたって、それは何の役にも立たなかったし、松岡はそのことに気づいていた。自分

の言動が、外交政策遂行にとって大きな困難を生むことを知っていながら、なぜ松岡は

このような戦術を用いたのだろうか。一つはっきり言えることは、松岡に“対決戦術を好む

傾向”があったことである。松岡は、アメリカ人から尊敬を得るために毅然たる態度を取り

たかった。」(同)

 このルーの言葉を読んでハタと思い当たることは、昨年末の安倍首相の靖国神社参拝

のことである。この言葉は、安倍内閣誕生以来、約1年間、対中包囲網外交を着々と展

開している安倍首相の外交スタイルとも共通しているのではないか。つまり、次のように

言い換えることができるのではないか。

「自分の言動(=靖国参拝)が、外交政策遂行にとって大きな困難を生むことを知ってい

ながら、なぜ【安倍首相】はこのような戦術を用いたのだろうか。

一つはっきり言えることは、【安倍首相】に“対決戦術を好む傾向”があったことである。

【安倍首相】は、【保守層支持者】から尊敬を得るために毅然たる態度を取りたかった。」

 特に、昨年12月初旬、バイデン米副大統領は、日本・韓国・中国訪問において、日韓の

外交関係の調整努力を安倍首相と朴大統領に進言して帰国したばかりであった。韓国

世論からも日韓首脳会談の必要性を主張する論調が出て来た矢先でもあった。にもか

かわらず、あえて靖国参拝を決行したということは、「戦う政治家」を自称する安倍首相

の“対決戦術を好む傾向(性格)”が作用したとしか思えない。

 三、

同じくルーは、松岡外相の対米外交を次のように分析している。

「もともと妥協の余地のない日本軍部の対中国政策とルーズベルトの対中国政策との間

には、いろいろな障害があった。松岡は、日本軍の中国からの完全撤退を主張すること

によって、おそらく日米両国の隔たりを埋めることができると考えたようだった。その見通

しは正しかった。しかし、“対決策”を採用したことにより、成功のチャンスを何もかも無くし

てしまった。“屈しなければ、相手がこちらを尊敬するようになる”というのが、松岡がアメ

リカに対して取った態度だった。」(同)

 松岡外相の対米外交は、一言で言えば「ファイティング・ポーズ外交」であるということ

ができる。安倍首相の「対中国包囲網外交」も、中国に対する「ファイティング・ポーズ外

交」であると思えてならない。これを中国側から見ると「対中国敵視外交」ということにな

る。その結果が、中国の防空識別圏の設定という報復措置となって実現したのではない

のか。また対韓国外交においても「(靖国参拝という)“対決策”を採用したことにより、成

功のチャンスを何もかも無くしてしまった。」ということが言えるのではないのか。

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甲突川健康掲示板 過去投稿

最後に頼れるものとは
http://8108.teacup.com/tomonori/bbs?page=225&

歴史から消しさてはならない 風化させてはならない。叫び!

甲突川健康掲示板 過去投稿 結構若者の投稿あったようだが、若者離れ?


> 私は空想的な物が嫌いですが我々の歴史の中で評価の低い彼が世界でどう評価されてるのか?
> 願望を夢見るのも悪くはなかろうと思わぬでもない。
> 当時の現実的政治の中で彼は国際連盟を脱会する。
> 理想を求めるアメリカは同盟に参加してない、そのごの日本の歴史を顧みると理想と現実のどちらが賢明なのか?昭和天皇が靖国に行かなくなったのは彼が靖国に埋葬されたためだと言われてる。
>
 

デービット・J・ルー著「松岡洋右」とその時代

 投稿者:瀬戸山豊74歳  投稿日:2018年 5月 6日(日)18時50分52秒
返信・引用
  私は空想的な物が嫌いですが我々の歴史の中で評価の低い彼が世界でどう評価されてるのか?
願望を夢見るのも悪くはなかろうと思わぬでもない。
当時の現実的政治の中で彼は国際連盟を脱会する。
理想を求めるアメリカは同盟に参加してない、そのごの日本の歴史を顧みると理想と現実のどちらが賢明なのか?昭和天皇が靖国に行かなくなったのは彼が靖国に埋葬されたためだと言われてる。
 

第395回朝食会(2018年5月6日)での学びと気づき。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 5月 6日(日)16時25分39秒
返信・引用 編集済
   憲法記念日の集会での政治家の言動が話題になった。政治家には、国・世界・地球の未来のために献身的に働いてほしい。現在の延長線上には人類の未来はないであろう。西郷隆盛やリンカーンのようなリーダーの出現を期待したい。
 世界の人口は現在74億6269万6320人。人の生活が、太陽と地球からの恵みを越えそうです。戦争なんかしている場合ではありません。独り占めでなく、分かち合って、共に生きなくては。生は奇跡・老いは幸運・死は必然。ヒトも動物も植物も、全宇宙で唯一の、137億年の中の一瞬の生命なんだよ。
 

人生とは何か。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 5月 6日(日)04時53分2秒
返信・引用
   「一生勉強・生涯現役・臨終定年。」をキーワードに検索してみたところ、「松本泰道老師百歳。生涯150冊。百歳こえてもマスコミ殺到。その長寿脳の秘密は。」、「甲突川健康掲示板:人生とは何か。私とは何か。」などがヒットした。  

知識でなく、知恵を

 投稿者:●之助  投稿日:2018年 5月 5日(土)15時19分50秒
返信・引用
 

「島津に暗君なし」主君候補者はおさないころから、詮議と言う、「ケーススタディ」で、鍛え、その中から候補者を抜擢


西郷と庭先で酒を飲むと、さぞ、美味しかろう・・・・?

?

薩摩という中央政権の手の届きにくい僻地であったこと、海に面した立地により海外の情報が入ってきやすかったことなど環境に恵まれた面もあるとはいえ、それらの環境を最大限に活用した

■西郷隆盛が抜擢された理由


明治維新をリードした薩摩(さつま)藩出身者たちが“ちびっこ”時代に学んだ教育システムには、今の日本にとってさまざまなヒントがあるという。

■それは戦国時代の知恵の生き残り

磯田 幕末から日露戦争にかけ、かなりの確率で勝てる政治判断を下した人材を、薩摩藩は多く生み出しました。そんな薩摩藩では、武士の子供たちに「郷中(ごじゅう)教育」という独特の教育が行なわれていたんです。「郷中教育」とは、方限(ほうぎり:地域のこと)ごとに6歳から15歳くらいの少年が集まり、そこに15歳以上の先輩がついて行なう自習システム。今の教育はもちろん、幕末に日本中に広まっていた「藩校」ともまったく異なる制度でした。

―そこでちびっこたちは何を学んでいたんですか?

磯田 薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。社会性も身につきますよね。

何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。とにかく先輩は怖い。

磯田 対話重視という意味で、郷中教育の中で特に重視されたのが「詮議(せんぎ)」というメソッドでした。今でいう「ケーススタディ」で、起こり得るけど簡単には答えが出ないような状況をいろいろ“仮想”し、その解決策を皆で考え合う訓練です。


例えば「殿様の用事で急いでいるが、早駕籠(はやかご)でも間に合わない。どうするか」とか、「殿様と一緒に乗っていた船が難破した。向こうから一艘(そう)の助け船が来たが、乗っているのは自分の親の敵(かたき)だった。どうするか」とか、「道で侮辱された。どうするか」といったリアルな設問を次々と挙げ、各自が自分だったらどうするかを述べ、皆で議論する。「ハーバード白熱教室」みたいですよね。あの番組は日本でも大人気でしたが、日本人のDNAに、アメリカより先にこれをやってきた記憶があるとさえ思えます。

―あれ? これって薩摩藩だけの教育システムだったのでは?

磯田 実は「詮議教育」は、戦国時代くらいまでは日本中で行なわれていたようです。江戸時代になるまでは、公家や荘官や守護大名のようなごく一部のエリート以外は字を読めなかったので、一般的に武士は、戦(いくさ)の成功・失敗事例を文字でなく耳で学び、皆で議論し、実践的スキルを向上させる学習会を行なっていた。

江戸時代に入ると、藩校のようにテキスト重視の教育が普及していきますが、文字は使わないけど、極めて非常に実践的な中世式の教育スタイルが、九州の端っこにだけ「子供版」として残っていたわけです。実際、当時の薩摩は、国内で最も識字率の低い土地でした。しかし、「明治国家をつくり出した判断力」が、文字でなく口伝えの教育で育まれたのが面白いところで

―道徳教育はあったんですか?

磯田 これも文字でなく、「日新公(じっしんこう)いろは歌」(日新公は島津の殿様)というのを毎日毎日、それこそ大人になるまでに何万回も唱えました。ちなみに最初の「い」は「いにしえの道を聞きても唱えても わが行ないにせずばかいなし」といって、「どんな昔の教えを聞いても自分で実践しなければなんの意味もない」という意味。やはりすごく実践的な教えですね。

―それをひたすら暗記する?

磯田 文字が読めなくてもリズムで暗唱できるようになっていますが、郷中教育では、例えば「『義』とは何か」といったテーマで議論を繰り返したりして、そうした日常生活の規範を、それぞれが内面化していくんです

磯田 判断力、決断力、実行力を伴った、まさに「知恵」ですね。定まった知識をテキストで身につけるのでなく、(1)あらゆる事態を仮想し、(2)それに対処するアイデアを考え出し、(3)その中から正しいものを選択し、(4)実行する“度胸”を持つという。「野村ID野球」なんか、ちょっとそれに近かったんじゃないかな。野村監督は古田たちに「野球とは何か」まで質問して。予算はなくても当時のヤクルトは強くなりましたよね。

―ただ、講義やテキストではなく、主に対話だけで学ぶ学習って、グループリーダーの力量にすごく左右されそうですよね。

磯田 それはあります。郷中教育におけるグループリーダーを「二才頭(にせがしら)」と呼んだのですが(二才[にせ]は薩摩で若者の意)、例えば薩摩の城下町で「名二才頭」と噂になっていたのが、下級武士だった西郷隆盛でした。西郷の地元では、子供たちも行儀よく、顔つきも違うと評判だった。西郷は島津斉彬(なりあきら)に抜擢されますが、つまり、天才的な殿様にいきなり召し出されたわけではなく、6歳から20歳ぐらいの間でちゃんと、あいつは指導力があると自然に現場で証明されてたわけです。

だから薩摩藩は校舎も教師もなかったけど、郷中教育で「名二才頭」と呼ばれる若者を採用すれば、後に明治の国家をつくるような人材を効率的に選べた。話が飛ぶけど、今の日本で良い政治家がいないとよくいわれますが、やはり草の根の根っこのところでお互いがお互いを選び合うようなシステムがないと、それは難しいものです。あと、もし今、本当のエリート官僚を選びたいなら、やはり数回のペーパーテストと面接では無理でしょう。選挙もテストも一見公平な方法ですが、リーダーの選び方において今の日本社会は怠けてると僕は思う。もっとしっかり長い時間をかけ、実際の行動のなかから指導者を選んでいくシステムを復活させないと。

磯田 あと、今の日本に特に必要という意味では、さっきも話した、あらゆる事態を想定しておく「仮想力」です。明治以降の日本は欧米へのキャッチアップが目標だったから、生きる知識も学校で注入できました。しかし今は、記憶だけでは生きていけない事態を前提とした教育が求められています。それに日本人は、起きたら困るようなことは考えないようにしがちですから。まさに原発事故が、その象徴でした。

―ただ、さすがの薩摩武士たちにとっても、生麦(なまむぎ)事件(1862年、島津久光(ひさみつ)の行列を横切ったイギリス人をその場で斬り殺し、薩摩藩がイギリス軍と戦争する原因となった事件)なんかは想定外だったんじゃないですか?

磯田 そういう事態すら彼らの念頭にあったのではと僕は思うんです。「刀はめったなことでは抜くな。抜いたらただでは収めるな」というのが薩摩武士の道徳教育だったから、とどめは刺した。けど、その直後、島津久光の駕籠をとにかく内陸へ向け必死に走らせるわけ。実際、イギリス陸戦隊は即座に上陸し、島津久光の身柄を拘束しようとしていたんですから。

―では、絶対に負けるとわかっていた、イギリス軍との戦争にはどう対処したんでしょうか。

磯田 薩摩藩はすごいリアリストたちですから。彼らはイギリス軍の大将が乗った旗艦へ向けて砲弾を集中させ、相手の艦長を戦死させるんです。確かに薩摩はあちこち焼き払われ、とても勝ったとはいえないけど、イギリスにその実力は認めさせた。結果的には、「これは簡単に占領できる相手ではない。日本に親イギリス政権を樹立するために組む相手だ」って信用されたんですね。

―最後に、郷中教育は、なんらかの形で、今の日本でも復活させるべきだと思いますか。

磯田 そこには多くのヒントがあります。ただ、薩摩の郷中教育はあくまで忠孝(ちゅうこう)思想なんです。君に忠義、親に孝行。下の者に対し「慈悲をかけよ」という部分も少しはあるけど、根本は上に対する責任を持たせるのが目的の教育です。

でも、これからの日本に必要なのは、そうした身分制社会の教育ではなく、社会的弱者をどう救済するかとか横の関係とかですよね。さらに、郷中教育はやはり戦士の教育なんです。討ち死にしてでもとにかく敵を打ち負かす、チームとして戦に勝つための合理性を追求した教育であり、そこは情報化社会における合理性とは異なる。そこは組み替えないといけません。しかしこの教育が、当時の「人づくり」に大きな成果を挙げたことは間違いありません。

磯田道史(いそだ・みちふみ)
 1970年、岡山県生まれ。静岡文化芸術大学准教授。古文書を読み解き、当時の人々の生活や感情までをも生き生きと描きだす日本史の達人。  引用 拝借文です。一部修正

 

日本の健康・アメリカの健康。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 5月 5日(土)11時13分45秒
返信・引用
   日本の健康・アメリカの健康から国々の健康・世界の健康を。
 国々の健康はリーダーの健康から。西郷さんのような総理を日本に。リンカーンのような大統領をアメリカに。
 よいリーダーづくりは、よい教育から。世界中の子どもたちによい教育を。言葉と哲学の教育を。

 「言葉と哲学の教育。」をキーワードに検索すると、「世界中の子どもたちに言葉と哲学の教育を。」などがヒットする。「日本の健康・アメリカの健康。甲突川」で、「日本国民は、アメリカ国民は、平和の民、調和の民の末裔である。」などがヒットした。「国々の健康・世界の健康。甲突川」で、「日本国憲法・国々の憲法・国際法。」などがヒットする。
 

老いは幸運。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 5月 4日(金)13時41分15秒
返信・引用 編集済
   生は奇跡・老いは幸運・死は必然。喜び老いて平然と逝き、地球の土となる。土は生物を育む。地球を生物を育む星として永続させたい。みんなの地球を、みんなのために、よりよい星に。人間・社会・自然・地球の健康・調和・永続のために。
 老後の生きがいは多世代交流。先人の御恩を受けて、われづくり。御恩返しは明日への、ひとづくり。われづくり・ひとづくりの恩送り。一生勉強・生涯現役・臨終定年。

 「生は奇跡。」をキーワードに検索すると、「生は奇跡・老いは幸運・死は必然。我は天年・宇宙は無限。」などがヒットする。「老いは幸運。」で、「老いは幸運の果実である。」などがヒットした。「死は必然。甲突川」で、「鹿児島市医報:人類永続・生物永続の地球調和づくり。」などがヒットする。「生は奇跡・老いは幸運・死は必然。」で、「人生とは何か。」、「死の名言。」、「中村元:老いと死を語る。」などがヒットした。
 

日本国憲法・国々の憲法・国際法。

 投稿者:三方限古典塾の塾生 納利一 78歳  投稿日:2018年 5月 3日(木)17時35分14秒
返信・引用 編集済
   憲法とは何か。国際法とは何か。
 国々の憲法の健康をリードする日本国憲法づくりを。日本国憲法の健康から国々の憲法の健康を。国々の憲法の健康から国際法の健康を。国際法の健康から世界平和・地球調和の実現・永続を。人類社会の健康・調和・永続のために。

 「平和憲法・調和憲法。」をキーワードに検索すると、「地球を健康にする憲法を。」などがヒットする。
 

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